guinea pigの別バージョン

|2011/9/18(日曜日)-00:46| カテゴリー: ファンフィクなど
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 某所に出してエロだと言われました^^;)。
以前のguinea pigの後半書き直したバージョンです。どっちのラストがいいかは微妙。前のは後半くどくならないように敢えて短くしたんですが、削ったものがあったわけで。

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 バレンタインデーにReeさんからステキなチョコレートをいただいていたので、そのお礼のフィクです。3D画像をいただいてからそれに合わせて書いていたので、バレンタインデーはとっくに過ぎていますが、気にしないことにします。
  
 私が書くのでまたもや南部博士の話です。今回はギャグ要素が多いかなぁ。アンダーソン長官が人間離れした甘党になってます(汗)。
 一応、去年のバレンタインフィク(1)(2)を踏まえて書いてます。

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注意書き

                                 裕川涼

●PHASE 1 ISO本部・長官室

 二月四日。
 デスクワークにいそしんでいた南部は、机の上の通信機で呼び出された。見慣れたアンダーソン長官の姿がディスプレイに現れた。部屋まで至急来てくれ給え、という命令に、やりかけの仕事を全部中断し、南部はアンダーソンの部屋へと急いだ。一体どんな緊急事態なのかと勢い込んでやってきた南部に向かって、アンダーソンは部屋の応接セットのソファに座るように促した。既に二人分のコーヒーが用意されていた。来客に備えて、紙ナプキンとコーヒー用のミルク、スティックシュガーをまとめて立てたスタンドがトレーに載っていた。
「南部博士、もうすぐバレンタイン・デーだが……」
「それが何か?幸いなことに、今のところ特に異常はありませんが」
 去年のバレンタインデーは、ちょうど今頃から南部宛に差出人不明のチョコレートが送られてきた。差出人を調査した南部は事件に巻き込まれて怪我をする羽目にった。秘書達からもらったチョコレートは食べられず、秘書課主催のパーティーも欠席することになった。今年もバレンタイン・デーのせいで事件に巻き込まれてはたまったものではない。
「あのな、南部博士。世間一般でいうバレンタイン・デーとは、異常事態の意味ではない筈だが……」
 アンダーソンは、溜息をついて、スティックシュガーを引き抜いてパッケージを破り、コーヒーに入れた。一本では足りず、すぐまた次の一本を抜いた。
「まあいい、南部博士。今年はISOでも、バレンタイングッズを企画販売することになった。昨日の総務委員会の最後の議題に上がってな。ついては協力してほしい」
「何をすればよいのですか」
 南部はコーヒーカップを手に取り、一口飲んだ。アンダーソンは相変わらずスティックシュガーを投入し続けている。思わず、南部はその本数を数え始めた。
「チョコレートを作るので、手伝ってもらいたい」
「今から製造ラインを組んで間に合わせろというのならやりますが、高く付きますよ」
 ISO直轄の事業で南部が直々に出動するのは、それなりの人数と予算を必要とする仕事の時だけである。
「そんな大げさなものではない。本部の購買部で売るだけだから、せいぜい二百個程度あればよい。秘書課と総務課の職員が手作業で作っても十分に対応可能な数だ」
「それでは本来の業務がおろそかになります。現場は難色を示したのでは」
「そんなことはない。女性職員は全員張り切っている。どのみちこの時期は手作りチョコの製作に追われるということらしい」
 アンダーソンはスプーンをカップに入れてかき混ぜ始めた。スティックシュガー十二本が投入済みだった。最近は一本当たりの量が減っているとはいえ、コーヒー一杯に一ダースというのはいくら何でも多すぎる。南部は、一体どんな味の液体になったのかと思いを巡らし、右眉を微妙に上げたが、それ以上考えると胃がもたれそうな気がして想像するのを止めた。
「むしろそちらの方が難色を示す理由になりそうですが」
 業務でチョコレート作りをやらされたのでは、意中の相手やら友人以上恋人未満やらその他大勢の義理の相手やらに配るチョコを用意するのに支障を来す。
「まとめて材料を仕入れたから安くあがってな。それで、チョコレート作りに参加した人は、余分に仕入れた材料をタダで自由に使って良いことにしたから、全員大喜びだ」
 アンダーソンは、そういうところだけは気配りを怠らない。
「それで、企画の方はどこまで決定しているのですか」
「チョコは大きく分けて二種類だ」
 アンダーソンは、封筒から紙を引っ張り出した。
「G1号のブーメラン型チョコ。現物と同じサイズで、形を再現してほしい。ガッチャマンは人気があるのでな」
 そっくり同じ形とサイズになるような型を作るには、ブーメランの設計図が必要で、それは南部の手元にある。南部は、なぜ今回のチョコレート製作騒動に自分が巻き込まれることになったのかを理解した。
「それからもう一つ、これだ」
 アンダーソンは別の紙に描かれた絵を示した。南部は思わず固まった。見覚えのあるジゴキラーの絵だった。
「それは私が描いたものだが、なぜ……」
「南部君、この間の会議中にヒマをもてあまして資料の裏に落書きしとっただろう。機密保持のために回収した資料の裏側の絵が、廃棄の時に見つかってな。丸いしチョコに最適だろうということで、今回の企画に採用された。こちらは、ブーメランほどの精度は要求されないだろう。元が植物で個体差があるから、少しずつ形が違う方がむしろ自然かもしれないし、手作り感が出るだろう」
 機密書類だから確実に廃棄されて後には何も残らないと思っていたのだが、考えが甘かった。南部は観念した。
「それでは早速準備にかかります。全員に作業を指示する前に、レシピと製造工程を確定させなければいけませんから、今日の夕方に何人か実験室に寄越してください」

●PHASE 2 ISO本部・南部の実験室

 南部は、工作機械を動かしながら金属ブロックを削っていた。3次元の数値座標を入れると、その形に自動的に削ってくれる。ガッチャマンのブーメランの構造・材質ともにトップシークレットであるため、外側の形状だけが必要であっても、南部が直接作業をするしかない。
 ブーメランは平たい刃がついていて、表裏対称な形をしている。南部は、ブーメランを薄く二分割にした部品を削りだして表面をきれいに磨いた。次に、その部品よりやや大きめで、隙間を1ミリ程度残して部品が入る穴を金属ブロックに作った。根元の部分は別パーツとして削りだした。作業を終えた南部は、金属片を実験室内のプレス装置に取り付けた。薄いポリエチレン板を挟んで加熱しながらプレスする。ポリエチレン板には、ブーメランを半分に切った形状のへこみができた。これを2つ合わせて、できた空洞にチョコレートを流しこんでから型を外し、余分なチョコレートを削り落せば、ほぼ完全なブーメランの形を再現できる。
「博士、恒温漕の準備ができました」
 白衣姿の研究員が歩いてきた。チョコレートを融かして一定温度に保つため、実験用の大型恒温漕を使うことになっていた。
「容器は食品用のものに交換したのだろうな?」
「そりゃもう間違い無く」
「よろしい、では食堂に運んでくれ給え。それが終わったらこのプレス機で型を作って食堂に持って行ってほしい」
「何枚くらい作りましょうか?」
「一個作るのに二枚必要だから、四十枚ほどあれば、数人で作業するには充分だろう」
 南部は、部屋の電話で食堂を呼び出した。調理用のエプロン、帽子、マスク、使い捨ての滅菌済み手袋を二十人分ほど用意するように伝えた。ついでに、チョコレートの製造責任者を、食堂の調理担当者に依頼した。ISOの販売品で食中毒を出すわけにはいかない。
 設備の確認のため、南部は、食堂の厨房に向かった。


●PHASE 3 ISO本部・食堂

 食堂には、南部が指示したエプロンや帽子などに加えて、滅菌用のアルコールスプレーのボトルが何本か並んでいた。
「南部博士!」
 普段、南部の部屋に郵便物などを運んで来ている秘書が既に食堂に来ていて、南部に向かって手を振った。横のテーブルに、アンダーソン長官と、長官付きの女性秘書が二人来て、既に作業をしていた。机の上には、簡易コンロや鍋、泡立て器といった調理器具が並んでいた。南部は食堂の奥へと進んだ。
「ブーメランチョコレートだが、今し方型が完成したところだ。間もなく此処に運ぶ予定だ。その後製造方法を決めねばならん。後で私の部屋で打ち合わせを……」
「あら、南部博士。チョコレートの手作りでしたら私達の方が経験豊富ですわよ。少し試して後ほどレシピを部屋にお持ちしますわ。ですから、今日は試作講習会ということにして、本格的な製造は明日から始めたいと思います。固いチョコレートなら、日持ちしますし」
「わかった。そのようにし給え。ところで、箱はどうするのかね?」
「紙の化粧箱を用意するつもりです。それから、丸いチョコレートをジゴキラー柄のアルミホイルで包んだものをつけるつもりです。その方が彩りも鮮やかですし」
「ということは、箱の手配ができてから包装ということになるのかね」
「そうです。現物が無いと正確なサイズが決まりませんから、チョコレート型で一度試作を行ってから、大きさを決めて発注します」
 南部は頷き、今度はアンダーソンの方を見た。既に融かされたチョコレートやペーストの入った鍋がいくつも並んでいた。
「南部君、いいところに来てくれた。ジゴキラー型のチョコレートの製作について打ち合わせていたのだが、彼女達は実に優秀で、あっさり試作品を一つ作ってしまったよ」
 南部はテーブルの上を見た。作業中であることはわかったが、完成した筈のチョコらしいものは見当たらなかった。
「今冷蔵庫で冷やしているんです。これが作り方ですわ」
 秘書が、レシピを差し出した。南部は受け取り、目を走らせた。
「中心部分はガナッシュです。チョコレートを溶かし、洋酒と生クリームを混ぜて柔らかくします。ガナッシュはペースト状ですので、一旦冷やして少し固くしてから丸めます。丸めた後、冷凍庫に入れて充分温度が下がったら、取り出して、外側に融かしたチョコレートをかけます」
「やわらかい脳を固い頭蓋骨が守っているような構造か」
「……はい、その通りです、博士」
 南部の例えに、秘書は一瞬引いたが、すぐに平静な表情で説明を続けた。
「この丸いガナッシュがジゴキラーの内側になります。問題は外側の花びらですが……」
「型が必要かね?」
「いえ、最初はチョコレートで作ろうかと思ったのですが、白と緑と赤の色を出すのが難しかったので、砂糖菓子で作ることにしました。水飴と砂糖を混ぜて溶かして固めるだけなので、チョコレート用の型はいりません。丸いボウルに流しこんで大体の形を作ってから、緑と赤のパウダーを使って塗り分けることにしました」
「試作品がそろそろ完成している頃だ。出してき給え」
 アンダーソンに言われて、もう一人の秘書が、厨房に向かった。壁一面に作り付けられている業務用冷凍冷蔵庫の扉をあけた。
 運ばれてきたチョコレートを見て、南部は言葉に詰まった。
 説明の通り、真ん中の丸い球はチョコレートで、周囲を薄い花びらが取り囲んでいる。色の塗り分けも上手い。問題はサイズだった。中心のチョコはメロン程度の大きさで、それが、直径三十センチメートルのメインディッシュ用の皿の真ん中で意味不明な存在感を主張していた。
「南部君、見給え。見事だろう?私が欲しかった通りのものが完成したぞ」
「少し大きすぎませんか」
「何を言うか。これくらいでないとインパクトがない。それに、一寸頑張れば食べきれる量だろう」
「はぁ……」
「よく、秘書の女性達が言ってることを知らないのかね、南部君。ほら、甘い物は別腹だと」
「牛の胃だって四つあるってことですし……」
 チョコレートを運んで来た秘書が言った。全くフォローになっていない。
 そもそも、牛の胃袋の場合は、容積が四倍になるのではなくて、時間をかけて順番にゆっくりと食べ物を送るためのものだった筈だ……。
「そうは言っても、この花びら一枚一枚が砂糖の塊なのですよね……」
「何、心配はいらん。その分、中心のガナッシュは甘さを抑えてある。甘い花びらと一緒に味わって丁度良いはずだ」
 そんなものを「丁度良い」と言いきれるのはアンダーソン長官だけだろう。コーヒー一杯に一ダースものスティックシュガーを投入する人物の味覚が、一般人と同じであることを期待する方が最初から間違っている。大体、こんなことを言ってるからその体型なのだと喉まで出かかったが、言うだけ無駄なので言うのをやめた。かわりに、深呼吸してから南部は続けた。
「では、それで製作にかかってください」
 巨大なチョコレートを前に大満足しているアンダーソン長官に向かって、これ以上何か言っても聞く耳は持たないだろう。ただでさえ忙しい南部は、チョコレートのサイズについて長官と議論する気はさらさら無かった。
「それなんですけど、ガナッシュは日持ちしないので、販売の前々日から集中して作ります。それまでに、日持ちするブーメランチョコの方を完成させます」
 南部は首をかしげた。
「ISO本部の購買部だけで限定販売だからな。一応予約は受け付けるし外部からの購入も可能だが、販売はバレンタインデー前日の二月十三日だけの予定だ」
 長官がそう言うのなら、特に反対する理由は南部にはない。後の製作作業を秘書達に任せて、南部は自分のオフィスに戻った。

●PHASE 4 ISO本部・南部の実験室

 数日間にわたるISO本部本部内でのチョコレート製作作業は滞りなく進んでいた。ISOの企画のチョコレート製作に南部が全面協力したこともあって、今年は南部にチョコレートを渡して食べてもらえるだろうと、秘書課の女性達は皆期待していた。

 二月十二日、南部は、女性陣の思惑など全く意に介さず、ブーメランチョコレートとジゴキラーチョコレートのチェックに追われていた。
 販売見本品として南部に届けられた白い箱の蓋をあけると、透明な袋の中にジゴキラーチョコレートが入っていた。袋の口はリボンで結ばれている。南部は、そっとチョコレートを取り出し、食堂から借りてきた皿の上に載せ、フォークを置いた。実験室の机の上で、異常な存在感を示していた。この包装なら、運搬したり取り出したりしたりするときに壊れる心配は無い。

V01

 箱の中にはカードが入っていた。製造後の温度管理がシビアなこともあって、「冷蔵庫に保存してお早めにお召し上がりください」といった注意書きが印刷されていた。「衝撃を与えるとチョコレートが割れたり潰れたりすることがあります」「取り出す時には花弁を壊さないようゆっくりと取り出して下さい」といった個条書きの最後に、賞味期限が明記されていた。
 南部は、次に、ブーメランチョコレートの化粧箱を開けた。ブーメランチョコレート一個が真ん中に配置され、脇に、小さなジゴキラーボール型チョコレートが入っていた。箱の裏に製造日と賞味期限と原材料を印刷したラベルが貼り付けてあるものの、それ以外の注意書きは一切無かった。

V02

「これは、容易ならぬ……」
 何の注意書きも無いままに、変な使い方をした人が居て万一被害が発生した場合、巨額の賠償金を請求される恐れがあった。そんなことが起きたら、チョコレートの売り上げなど簡単に吹き飛んでしまう。今から箱の中に注意書きを入れるのは不可能だから、販売時までに印刷して箱に添付するしかない。タイムリミットは販売が始まる明日の朝までである。南部は、ノートパソコンを脇に置いて、注意書きの文章を入力していった。
——保冷剤は二時間ほどしか持ちません。購入後は速やかに冷蔵庫に入れてください。温度が上がると形が変わってしまう可能性があります。
——チョコレートの表面が白っぽくなってもカビではありません。脂肪分が固まったものですから、安心してお召し上がりいただけます。
 もっと無かったか、と、南部は左手を顎に当てた。チョコレートとはいえ、形がガッチャマンのブーメランである。「食べる」の次に頻度の高い使用用途が「投げる」になるに違い無かった。
——敵に向かって投げないで下さい。
 不意に頭に文句が浮かんだ。これを敵に向かって投げた場合、普通の状況ではまず効果は無いだろう。
——本物ではないので投げても戻ってきません。
「……つまりは、子供のオモチャ並の注意書きを作らないといけないのだな」
 あれこれ考えていた南部は、ふと、本当にこのチョコレートに物理的危険性が無いのか徹底的に試してみたくなった。温度を下げればチョコレートは固くなる。うんと固くなった状態で投げたらどうなるのだろう。ブーメランとして機能するのだろうか。
 南部は、発泡スチロールの箱の中にブーメランチョコレートを入れた。液体窒素用のデュワー瓶を持ち上げ、液体窒素を発泡スチロールの中に注いだ。液体窒素の温度はマイナス一九六度、これで冷やせばバナナで釘が打て、バラの花を凍らせて落せばガラスのように砕け散る。液体窒素の冷気で空気中の水蒸気が結露して実験室の机の上は白煙に覆われ、天井に達した。透明な液体窒素は、ぼこぼこと音を立てながら発泡スチロールの箱の中で沸騰していた。頃合いを見計らって、竹でできたピンセットで挟んでチョコレートを取り出した。素手で触れば皮膚が凍り付いて剥がれる。南部は、低温用の革手袋をはめて、ブーメランチョコレートを握った。入り口脇のスケジュールボード目がけて思い切り投げた。
 ぶかぶかの手袋をはめたまま投げたため、手元が狂った。ブーメランチョコレートは入り口のドアに向かって飛んだ。その時、入り口のドアが開いた。入ろうとしていたのは健だった。健の反応は早かった。自分目がけて飛んでくるモノが何であるかを確認する前に、ブーメランを引き抜いて投げていた。ブーメランチョコレートと本物のブーメランは斜めにぶつかり、お互いに曲がって飛んだ。ブーメランチョコレートはそのまま廊下に飛び出し、反対側のガラスを砕いて突き刺さった。
「健、何事かね」
「試作品を博士に届けた後、何も連絡がないので、意見を伺ってくるように長官に言われまして……」
 南部は立ち上がり、廊下に出た。窓ガラスに対してそれなりの破壊力があったことを確認し、実験室の中に戻った。
 健のブーメランは、ジゴキラーチョコレートに刺さっていた。

V03

「健、咄嗟の反応は見事だったが、これを一体どうするつもりかね」
 抑揚のない声で南部に言われて、健は硬直していた。
「まあいい」
 南部は、ノートパソコンに向かって「冷やしすぎると固くなりますので、投げると物を壊したり人を傷つけたりするおそれがあります」と打ち込んだ。注意書きを部屋の隅にあるプリンターに出力し、健に手渡した。
「これと一緒に売るように伝えてくれ給え」
 健は紙を受け取り、部屋の入り口を開けた。実験台に戻った南部は、ジゴキラーチョコレートからブーメランを引き抜いた。
「忘れ物だ」
 健に向かって投げた。

 健が出て行った後、南部は、ジゴキラーチョコレートを見つめた。外側を覆っていたチョコレートに穴が空き、一部はひび割れ、ブーメランの刃はガナッシュ部分に達していた。できるだけ清潔に作ってはいたが、こうなってはそうそう日持ちしそうになかった。
「そういえば、これ一つを食べきれないこともないと長官が言ってたな。果たしてそれを信じて売って良いものか……」
 そろそろ夕食の時間だった。南部はフォークを手に取ってジゴキラーチョコレートを食べ始めた。
 甘さを抑えたとアンダーソンは言っていたが、普通に甘かった。やはりアンダーソンの味覚を基準にしてはいけない。それでも、最初はなかなか美味しいと感じたが、半分を食べたあたりで苦痛になってきた。南部は、水を飲みながら、機械的にフォークでガナッシュを掬っては口に運んだ。だんだん胸焼けがして、息苦しくなってくる。最後は味も感じられないま噛まずに飲み込み、花びらをかみ砕いて水と一緒に流しこんだ。
 医務室に行って胃薬でも貰ってこよう、と南部は思ったが、どうにも体が辛かった。南部はそのまま実験室の床に横になって、胃のあたりをさすっていた。安静にしていても息切れと目眩がひどかった。
 実験室の扉が開いて、秘書が入ってきた。
「南部博士、注意書きの印刷終わりました……博士!」
「……ああ、君か」
「一体どうなさったんです?廊下の方もあの通りですし」
「見本品のチェックをしていた。ジゴキラーチョコレートを一個食べただけだ」
 秘書に抱え起こされて南部は呻いた。急に動くとチョコレートが口から出そうになる。
「丸々一個食べたんですか!いくら何でも食べ過ぎですよ」
「長官は大丈夫だと言ってたのだが……」
「長官は特別だと思いますが」
「そうか、君もやはりそう思うか。もう当分チョコレートなど見たく無い。見るだけで吐きそうだ」
「歩けますか?」
「何とか……医務室へ頼む」

●PHASE 5 ISO本部・医務室

 南部は医務室のベッドで寝ていた。
 医務室に担ぎ込まれてから間もなく、悪寒がして熱が上がった。熱は丑三つ時になって下がったが、今度は吐き気が酷くなった。しかし、食べたチョコレートは既に胃を通過した後だったらしく、単に気分が悪いだけだった。夜が明けるころになって、腰が痛み出した。
 南部は、医務室から秘書に電話をし、ジゴキラーチョコレートに「健康のため食べ過ぎないようにしましょう」という注意書きを添付するよう厳命した。人体実験済みだと付け加えることも忘れなかった。再びベッドに横になってから暫くすると、腰の痛みが軽くなったかわりに腹が痛み出し、何度かトイレに駆け込むことになった。結局南部が動けるようになったのは、昼頃になって腹の中のものをすっかり出してしまった後だった。

 南部倒れる、の情報は既にISO本部に広まっていた。倒れた理由が、バレンタイン用チョコレートの品質チェックをしていて、巨大なジゴキラーチョコレートを丸々一個食べたことだというのを聞いた職員は、みな一様に微妙な表情になった。南部は普段から職務には忠実だが、今回のは無駄に忠実だという噂が飛び交った。

 こうなってしまっては、南部にチョコレートを渡すのは嫌がらせか拷問にしかならない。結局、今年のバレンタインデーに南部にチョコレートを渡すことを、全ての女性職員達はあきらめたのだった。

——完——

 ジゴ柄パジャマというリクエストがあったので描いてみました。
 しかし、花を入れられず、パジャマのストライプがジゴキラーの茎、というデザインになりました。。
 というか、南部君どんだけジゴキラー好きなんだよ……。

jigo4.png

 ちょっと大きめのジゴクッションを抱いて寝ている南部博士です。
 南部博士がありとあらゆる薬剤をぶち込んでも枯らすことができなかったジゴキラー、当然、酒飲んだくらいじゃ何ともないでしょう。先に酔い潰れたのは南部博士の方でした。結局、ジゴが起こしに来ても起きない南部博士という展開に。コーヒー届けに来てたり、眼鏡持って来てたりするのは愛嬌です。

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 内容は、忍者隊の代わりに国連軍がギャラクターを撃退する特殊部隊を作り、その影響はISOにも南部博士にも忍者隊にも及んでいく。南部は、軍が何をどうやったのか調べようとする。同時に、南部暗殺計画が進んでいた……。
 というものです。あんまり詳しく書くとネタバレするので書けません。ジャンルとしては、サスペンス&アクション、BL要素はありません。筆者が南部博士のファンなので、南部博士本になってます。諸君もちゃんと活躍します。オリキャラ数名登場します。
 内容をB5の紙に両面印刷してホチキス綴じしたものも、内容見本として用意しております。ご希望の方は、個別にご相談ください。

【2010/12/27追記】
 あまりに焦って書いたので、足りない部分をいくつか追加しました。最後の方、だいぶ変わってます。

科学忍者隊ガッチャマンファンフィク

家路

裕川涼

●PHASE 1 アメガポリス・ISO本部

 雪が降っていた。
 南部孝三郎は、オフィスの窓際に立って、窓の外を見ていた。
 まだ午後三時を少し回ったばかりだというのに、空は暗く、乾いた雪が勢いよく落ち続けて、窓の外を白く塗りつぶしていた。隣のブロックのビルの形さえ見えない。時折激しく吹く風が、雪を舞い上げ、白と灰色の濃淡の波をつくってビルの間を通り抜けていく。
 二重のガラス窓がはめ込まれ、空調の完備した南部のオフィスは、摂氏二十三度を保っていた。それでも、窓からの冷気を感じて、南部はブラインドを下ろした。
「だいぶ道が混み合ってるようですね」
 書類を運んでいった後、報告のために戻ってきた秘書が声をかけた。
「この雪だ、視界を閉ざされてしまっているのだろう」
「珍しくホワイトクリスマスになりましたね」
「……ああ、そうだな」
 南部は浮かない顔で返事をした。確かに、アメガポリスでは、クリスマスイブに雪になることは三年に一度もない。しかし、大雪警報が出て、市内の交通が次第に止まりつつある状態をホワイトクリスマスと気軽に呼んで、果たして良いのだろうか。
「私もそろそろ今日の仕事は終わりにする。君も早く帰り給え」
 クリスマスイブのこの日、ISO職員の多くは既にクリスマス休暇に入っており、本部に出勤している人数は普段の半分以下になっていた。
 秘書が出て行ったのを見て、南部は、防寒着を羽織った。軍の放出品である。国境警備隊が使っているもので、性能の方は申し分なかった。もちろん、階級や所属を示すワッペン等は全て外されていた。
 部屋を施錠して南部は廊下に出た。いつもはそれなりに人が行き交っている廊下は閑散としていた。エレベーターの前で待ち、上から降りてきたケージに乗り込んだ。マフラーを首に巻き、分厚いオーバーコートを着込んだアンダーソン長官が乗っていた。
「さすがに南部君でも今日は早く帰るのかね」
「ええ、子供達が待っていますから」
 南部は既に、科学忍者隊候補として、健とジョーの二人を引き取って、ユートランドの海岸の別荘に住まわせていた。他の候補者も探しており、あと二人ばかり心当たりはあったが、まだ接触していなかった。
「そうか、それは大変だな」
「いえ、普段は家政婦や家庭教師が居ますから。しかし、今日はみんなクリスマスイブで不在なので、私が早く帰らないといけないのですよ」
「そうか、あの広い別荘に子供達だけでは寂しいだろうね」
 南部の別荘は、ちょっとした研究所並の規模と設備を備えていた。窓の少ない巨大な建物の中に、普通の住居としての部屋の他に、コンピュータールームや実験室や医療設備までがあった。
「仕事が長引いて遅くなったとしても、ケーキを買って必ず帰る、と約束したのですよ。早く片付いてよかった」
 話をしているうちに一階に到着した。南部とアンダーソンは、揃ってロビーから外に出た。
「見事なホワイトクリスマスになったな、南部君」
「長官、それは……」
 建物から出た途端、突風に見舞われた。空から降る雪と、既に降った雪の両方が風と一緒に吹き付けてきた。南部は、思わず左腕で顔と頭を覆った。
「そんなロマンチックな状況ではなさそうです」
 南部は叫んだ。叫ばないと風の音に声がかき消されてしまう。
 ツリーの飾り付けを隠さない程度に静かに降る、というのが、南部のイメージするホワイトクリスマスであった。氷点下のブリザードが吹き荒れ、ツリーの樹氷が乱立する状況をホワイトクリスマスとは断じて言わないはずだ。
 待たせてあった車に乗って去っていくアンダーソンを見ながら、南部は、吹雪の中に足を踏み出した。

●PHASE 2 アメガポリス市内

——目当てのケーキ屋に寄ってから、車でも拾おう。
 南部は、ケーキ屋に寄って、定番のブッシュ・ド・ノエルの最大サイズを選んだ。隣のユートランドまで帰るのだと言うと、店員は厳重に包んだ後、提げ袋に入れ、さらにドライアイスを多めに入れた。外は冷凍庫並の気温だが、暖房の効いた車で帰るのであれば、ドライアイスは必要である。
 大通りに出てタクシーを呼び止め、南部はユートランドへと向かった。雪と風のため、電車は全部運休していたので、他に選択肢は無かった。しかし、ユートランドシティへ向かう途中で渋滞に巻き込まれて、全く先に進めなくなってしまった。
「何かこの先であったのでしょうか」
 南部の言葉に、運転手は黙ってラジオのスイッチを入れた。
——アメガポリスからユートランドに向かう橋の入り口付近で、可燃物を積んだタンクローリーが横転、炎上中です。雪と渋滞のため、消防車がたどり着けないため、消火作業の目処が立っていません。現在、消火剤を積んだヘリも、強風のため飛行を見合わせている状態です。
「お客さん、この分だと、ユートランド着けるのは何時になるかわかりませんねぇ」
「橋を迂回できないかね?」
「迂回すると山の方を回ることになりますが、向こうは日中降り続いた雪のせいで、除雪が間に合わなくて全面通行止めです。まあ、予報によれば吹雪はそろそろ峠を越えたようで、夜には止むそうですが……」
「そうか。歩いて橋を渡れないか、近くまで行ってみる」
 南部は、運転手に料金を支払い、チップをはずんでからタクシーを降りた。車道の脇の歩道を歩いて、アメガポリスとユートランドを結ぶ橋へと向かった。
 ニュースでは橋の入り口付近と言っていたが、火災は橋の上で起きていた。どうやら、橋を渡ろうとしてスリップし横転、橋の上に流れ出した可燃物に火がついたらしい。そこへ、停車し損なった車が何台か突っ込んで、さらに被害を拡大していた。オレンジ色の炎が、橋を吊っているワイヤーに届き、黒い煙が上がっていた。風が吹く度に長く伸びた炎が揺れていた。
 橋は、上下二重構造になっていた。最上部は自動車専用、最下部は歩行者や自転車用の道と保守点検用の通路が並んでいた。
 南部は、橋のたもとまで来て、脇道に入った。スロープをたどって下に降りた。橋を渡ろうとした時、叫び声が聞こえた。
「ちょっとあんたたち、何するのよ!」
 南部は声のした方を振り返った。古びたカートがひっくり返り、がらくたが雪の中に散乱している。若い男達三人が、老婆を引きずり倒していた。
「おい、君達、一体何をしてるんだ!」
 南部は駆け寄った。
「てめぇ、なんのつもりだ!」
 男の一人が殴りかかって来た。南部は躱そうとして、雪に足を取られてバランスを崩した。予想外の動きに、パンチを振り切った男の方が足をもつれさせた。手に持ったケーキを気にしながら、南部は、宙に浮いた右足で思い切り蹴り上げた。タイミング良く男の顎に命中した。男が雪の上に倒れた。両手でケーキを抱えたまま、南部も雪の上に尻餅をついた。残る二人を睨みながら、ゆっくり立ち上がった。
「いい加減にしないか!」
 南部は、倒れている男からゆっくりと遠ざかった。
「仲間を連れてさっさと行け」
 男達は、舌打ちしながら、倒れている一人を両脇から抱えて去っていった。二人まとめてかかってこられたら危なかった、と思いながら、南部は溜息をついた。
「大丈夫ですか」
 雪の上に座り込んでいる老婆に声をかけた。
「ありがとう、助かったわ」
 南部は、老婆に近づき手を差し出し、助け起こした。仕草から、左手が不自由だとわかった。
 老婆の年齢は、七十歳か八十歳か、すぐには見当が付かなかった。古くなった枯れ木という表現の方がぴったりくるような、しわくちゃの顔と手だった。おまけに、顔の左側に酷い火傷の跡があった。老婆はしっかり着込んではいたが、上着もズボンも所々破れていた。
 雪の中に老婆の持ち物が散らばっていた。古い雑誌や新聞、毛布、簡単な食器類など、どう見てもホームレスの道具一式だった。南部は、老婆といっしょになってがらくたを拾い集めて、カートに入れた。
「本当にありがとう、ええと……」
「ISOの南部だ」
「あなたが南部博士ね。名前をきいたことがあるわ。とにかく助かったわ」
「怪我はありませんか、その……」
「あら、私の名前なんかどうだっていいのよ。怪我は無いわ。これからどこへ行くつもりなの?」
「ユートランドに帰るところだ。では」
 南部は、橋を渡ろうとした。上では火災が続いていて、火の粉が舞い落ちていた。いくらも進まないうちに、老婆に呼び止められた。
「ちょっとあなた、南部博士!」
 南部は振り向いた。橋のたもとで、老婆がカートを懸命に押していた。
「どうしたんだ?」
「雪にひっかかって動けないのよ」
 南部は、小走りで老婆の方に向かった。カートの車輪が、雪に食い込んだ上に橋の側溝の蓋の隙間にひっかかってしまっていた。片腕が不自由では脱け出すのは難しいだろう。南部はケーキを脇に置き、しゃがんで両手でカートを引っ張り上げた。
「あら、さすがね若い人は」
「いや、私はもうそんなに若くはないんだが」
「私に比べれば子供みたいなものよ」
 突然、背後で轟音が響いた。南部は振り返った。車道が崩れ落ちて、解けた橋の材料やアスファルト、車などが次々に落下し、下の通路に激突した後、その勢いで一部は海に向かって落ちていった。
「一体何が起きたの?」
「上の火災で燃えていた化学薬品、かなり高熱を発していたらしい。橋の材料の一部が融けて、強度が保てなかったのだな」
 南部は、崩れ落ちた橋の断面を見ながら言った。
「どうやら、助けられたのは私の方らしい。あのまま歩いていたら今の崩壊に巻き込まれていた」
「橋は渡れるの?」
「上の平らな部分が崩れただけだから、橋そのものは大丈夫だろう」
「それなら早く行きましょう」
 老婆はカートを押して、瓦礫や車の一部が散乱し、所々炎が上がっている歩道を歩き出した。
「おい、ちょっと危ないぞ」
 老婆はまるで意に介さない。仕方無く、南部は、老婆を手伝ってカートを一緒に押しながら、狭くなった歩道を歩いた。
「ここまで来れば、もう火災の影響は無いだろう」
 言い終わった途端に突風が吹き抜け、南部は慌ててカートを手で押さえた。
「油断してると飛ばされるぞ。お婆さん、家はユートランドにあるのですか」
「家?私ゃ見ての通りの暮らしぶりだわさ」
「じゃあ何でこんな無茶を」
「あなたユートランドに行くんでしょ。それなら、ユートランドの教会まで私を連れて行ってくれないかしら」
「そういうことか。いいでしょう、途中まで一緒に行きましょう」
 教会では、クリスマスの夜に、経済的に困っている人達や孤児たちに、食事を振る舞うといったことが行われていた。老婆の身なりからしても家はなく、援助に頼るしかないということなのだろう。
「この天気、峠は越えたはずだ。飛ばされないように気を付けて」
 南部は、カートの上にケーキを置いて、カートを押しながらユートランドへと向かった。

●PHASE 3 ユートランドシティ

 何度か風に煽られながら、南部は、老婆と一緒に橋を渡り、ユートランドシティに入った。ユートランドも大雪の影響で、電車やバスが止まった上、車は最徐行で運転し、それでもあちこちで交通事故が起きていた。
「さて、どっちに向かうか……」
「こっちよ。裏道だけど近いの」
 立ち止まった南部を置き去りにして、老婆がすたすたと歩き始めた。
「道が完全に凍っている。そんなに急ぐと危ない」
 南部はあわてて後を追った。とたんに足が滑って、カートに捕まってどうにか転ばずに踏みとどまった。
 突然、路地から勢いよく車が走り出してきた。老婆をかすめてスリップしながら方向を変え、走り去った。巻き込まれた老婆が道に転がった。
「おい、婆さん、大丈夫か!」
「何て酷い人達!許せないわ。後で警察に言ってやるから」
「その分なら大丈夫そうだな」
「ええ、巻き込まれそうになって除けようと思ったら転んじゃったのよ。でも、あの人達、ぶつかってたって確実にひき逃げしてたわね」
 雪のせいで、車の轍が鮮明に残っていた。
 老婆は、車が走り出してきた路地へ入っていった。
「そっちが近道なのか?」
「いいえ、でもあの無茶な人達の正体を突き止めなきゃ」
 仕方無く、南部は、カートを押しながら老婆の後についていった。轍は、角を二回右に曲がった路地のところで止まっていた。車に向かう足跡も残っている。老婆は、足跡が出てきたドアを開けた。
「おい、不法侵入になってしまうぞ」
「いいってことよ」
 堂々とした態度で老婆はドアの向こうに消えた。仕方無く、南部はカートを置いて、老婆の後を追った。
 そっとドアを開ける。人の気配は無かった。
「あら大変!」
 先に入っていた老婆の大声が聞こえた。南部は声のした部屋に入った。作業机があり、工具類が雑然と置かれていた。
 老婆は、机の上に置かれた紙を手にとって見ていた。
「誰か居たらどうするんだ!」
 南部は小声で、しかし強い調子で言った。
「それどころじゃないのよ、ちょっとこれを見て!」
 老婆が南部に紙を突き出した。
 侵入経路が赤で書かれた建物の見取り図と物品の配置、警備の陣容、用意するべき武器弾薬リスト等だった。
「どこかの襲撃計画に見えるが……」
「この建物、ユートランドの文化芸術会館よ」
 言われてみれば南部にも覚えがあった。
「銀行ならともかく、そんなところに金目の物なんかなさそうだが、一体どういうつもりなんだ?」
「多分、絵よ」
「何?」
「あちこちの美術館から絵を借りて、クリスマスのチャリティー展覧会をやってるのよ。子供達が大勢来ているはずだわ。美術館よりは警備が手薄だから、絵を盗むつもりなのよ」
「いつやる気なんだ」
 壁にかかったカレンダーを見て、南部は黙った。これ見よがしに、今日の日付つまり二十四日に印がつけられている。
「決行は今日なのか。警察に電話を」
「電話は隣の部屋よ」
 南部は、隣の部屋に行き、受話器を上げた。何も聞こえない。
「雪の重みであちこち電話線が切れたのかもしれない」
「そう、それなら直接行くしかなさそうね」
「行ってどうするつもりなのだ……」
 南部の問いかけを全く意に介さず、老婆はまたもや、すたすたと歩き出した。

● PHASE 4 ユートランドシティ・文化芸術会館

賑わっているはずの文化芸術会館の扉は閉ざされ、静まり返っていた。
「この大雪で、展覧会は中止になったのでは」
「そんな筈ないわよ。向こう側へ回ってみましょう」
「何も起きてなければ、そのまま教会へ直行、今度は寄り道は無しだ」
 南部は宣言した。早いところ、ケーキを持って帰って、健とジョーに渡したかった。
 会館正面の建物は、中にコンサートホールや室内音楽を演奏するための部屋がいくつもあった。絵の展示は、中庭を挟んだ反対側の三階建ての建物で行われていた。中庭にに植わっている木も、その間に置かれているオブジェも、雪が積もって白一色に凍り付いていた。
 一階は休憩スペースを兼ねたロビーになっており、中庭に貼り出している。それに接する形で三階建ての窓の少ない建物が、直射日光を避けなければならない絵の展示に使われていた。
 南部の期待は裏切られた。絵を見に来た子供達は一階に集められていた。ショットガンを持った男が、暖炉を背にして全員を威嚇していた。
「遅かったか……」
「放って置いたら、絵を奪った後、あいつらは子供達の何人かを人質にして逃げ出すつもりだわよ」
「しかし、うかつに近寄ったらこっちが危険だ。何とか注意を逸らして不意打ちするしかないが……」
 南部は建物の屋根を見た。暖炉の上あたりに、四角く太い煙突が突き出している。
「単なる飾りなら屋外の煙突は要らないはずだ。どうやら上までつながっているらしい。あとは、相手の気を逸らす方法だが……」
「ISOの天才でしょ、何か思いつかないの?」
「そのカートを見せて」
 南部は、老婆のカートの中を探った。水が半分ほど入ったペットボトルを見つけて手にとり、防寒着のポケットに入れた。次に、カートの上に載せていたクリスマスケーキの手提げ袋を開けた。ケーキは箱詰めされたあと、包装紙やラップで巻いてあり、紙の小袋に入ったドライアイスが箱の上と周りに詰め込まれていた。南部は、ドライアイスをほとんど抜き取り、防寒着の反対側のポケットに入れた。
「ケーキを預かっておいてもらえるかな」
「いいわよ」
 老婆がカートの中のがらくたを寄せて場所を作った。手提げ袋ごと、南部は、ケーキをその隙間にそっと入れた。ついでに、カートの中に転がっていたドライバーとガムテープを手に取った。軽く上に投げてキャッチし、ポケットに突っ込んだ。
「子供達を逃がすのを最優先にするが、他に仲間が居るはずだ。できたら警察に通報してくれ」

 南部は、ペットボトルの蓋を外し、ドライアイスをドライバーの柄で砕いて中に入れた。再び蓋を閉め、よく振り混ぜた。窓の片側にカーテンが寄せられていて、その部分だけは、中から外を見ることができない。南部は、ガムテープでペットボトルを窓硝子に貼り付けた。
 そっと建物の裏にまわり、ドアのノブに足をかけ屋根に飛びついた。積もった雪が崩れ落ちてくる。何とか屋根の上に這い上がり、立ち上がった。ある程度雪がある方が滑りにくい。ゆっくりと南部は煙突のところまで歩いていった。
 煙突の上に取り付けられている雨除けのカバーをドライバーで外し、南部は中を覗きこんだ。
 下の方はオレンジ色だが、特に暖かくはない。子供達が来るイベントなので、火を燃やさず、照明を設置することで雰囲気だけ出しているらしい。
 南部は煙突の中に入った。両足を突っ張って体重を支え、ゆっくりと下に降り、暖炉のすぐ上で待った。
 五分と経たないうちに、ぼんっ、という音がしてペットボトルが破裂した。同時にガラスの割れる音。南部は、暖炉の中に飛び込んだ。灰が舞い上がる。炎に擬したランプを設置してはいたが、暖炉として使っていた時の灰は雰囲気を出すためそのままになっていた。暖炉の前を塞いでいる柵を蹴り倒して、ショットガンを持ったまま窓の様子を窺う男のに向かって、後ろから飛びついた。床に倒し、両手を組んで、後頭部を思い切り殴りつけた。南部の方は、手首を痛めたかという衝撃を感じたが、男は呻き声を上げて動かなくなった。
「サンタクロースなの?」
 子供達から声があがった。
 この場合、サンタクロースというよりは、むしろ、ローストチキンの方だろうと南部は思った。火がついてなくて不幸中の幸いだ。
「ちがーう!みんな逃げるんだ!」
 南部は叫び、展示会場になっている奥の建物へと向かった。
——仲間はどこに居る?
 廊下に出て展示室を回る。絵のいくつかは既に外されていた。
——運び出すとしたら裏口か……。
 南部は、建物の見取り図を思い出し、従業員専用の出入り口へ向かった。廊下が濡れている。どうやら、最近ここを通って外から入ってきた者が居るらしい。
「何をしている?そのまま手を上げろ」
 後ろから怒鳴られて、南部は、ちら、と振り向いた。絵を片手に持った男が、拳銃を南部に向けていた。南部は、両手を挙げてゆっくりと振り返った。
「職員は全員片付けたはずだが」
「いや、私はここの職員じゃない」
 男の後ろから、老婆がカートを押しながら近付いてきた。カートの車輪がキイキイと小さな音を立てた。男に気付かせないために、南部は大声で怒鳴った。
「子供達はみんな逃げた。バカな真似はよせ。すぐに捕まるぞ!」
 男が銃の安全装置を外した。その後ろから、年寄りとも思えない勢いで、老婆がカートごと犯人に突っ込んだ。
 カートに足を掬われた男は、カートの上に尻餅をつく格好になった。絵を取り落とし、南部の方に近付いてくる。南部は駆けだし、すれ違いざまに顎に右ストレートを叩き込んだ。男はカートから転がり落ちて気絶した。
「助かった……」
 南部は、手首を押さえた。殴り合いには慣れていない。
「私も捨てたもんじゃないでしょ」
 老婆は、男が落した絵を拾った。
「モーツァルトの肖像画だな。良く見る物とは少しタッチが違うようだが」
「今売出し中の画家の作品よ。アマデウス……神様に愛された人、ね。天賦の才を持つ人をそう呼ぶわ。あなたと同じよ」
「私は別に……」
「生きている間に仕事をし続けて、若くして亡くなったわ。作品の方は人の歴史とともに残り続けるでしょうけれど」
 南部は眉をひそめた。同じ目には遭いたくない。
 老婆は、絵をそっと壁に立てかけた。
「さあ、行きましょう。教会はすぐそこの筈よ」

● PHASE 5 ユートランドシティ・某教会

 普段なら徒歩十五分で済むはずの道なのに、三十分かかった。雪は小降りになり、風もほとんど止んでいた。しかし、除雪は間に合わなかった。二人は、人の踏み後を辿り、雪をかきわけながら歩くことになった。
「教会には連れてきてもらえるし、子供達は助かったし、ステキなホワイトクリスマスになったわね」
 老婆が笑うと、顔の皺が倍増したように見えた。
「天災レベルの大寒波を、ホワイトクリスマスとは言わないと思うのだが……」
 今日、三度目になる愚痴を、南部は呟いた。どうして誰もかれも、たまたまイブの日に雪が降っただけで、ホワイトクリスマスと言いたがるのだろう。
「それに、私にとっては妙に忙しいクリスマスイブになった」
「あら、それは仕方がないわよ。あなた以外にちゃんとできる人なんか居ないのだから」
 南部は深い溜息をついた。
「さっきの話をまとめると、神様に愛された場合、才能を授けられて嫌というほどこき使われるか、早々に天に召されるか、どっちかだということになるな」
「モーツァルトはその両方だったわよ」
「神を信じてありがたがる人の気が知れないな。どう見ても愛されると災難でしかない。いっそ、神には無視してもらった方が幸せな人生を送れそうだ」
 ビルの谷間から、教会の塔と十字架が見えた。
「ここでいいわ。後は一人で行けるから」
「そうか、じゃあケーキを返してくれ」
 南部は、老婆のカートの中から、手提げ袋に入ったケーキを引っ張り出した。カートに入れられたまま、傾いたり衝撃を受けたりしているはずである。南部は、ケーキの無事を祈った。
「南部博士、あなたに神のご加護を。メリークリスマス」
 老婆にそう言われても、神に愛されると酷い目に遭う話をされた後では、釈然としない。
 老婆が教会に向かったのを見て、南部は、別荘に向かって歩き出した。南部一人なら、急いで歩けば一時間はかからない。
「博士!南部博士!」
 聞き覚えのある声に呼び止められて、南部は立ち止まった。防寒服に身を包んだ健とジョーが、歩道の反対側に立っていた。吐く息が白い。
「どうしたんだね、二人とも。別荘で留守番してたんじゃなかったのか」
「そのつもりだったんだけど、ちょっとそこの教会に立ち寄ってたんだ。そのあと……」
「健、もういいだろ。帰ろうよ」
「どっちにしてもここで会えて良かった。戻って、君達二人が居なかったら、探し回るところだったよ」

● PHASE 6 ユートランドシティ・南部の別荘

 健とジョーにケーキを渡して冷蔵庫に入れるように言った後、南部は念入りに上着とズボンの埃を払った。暖炉の灰の中に飛び込んでしまったため、全身灰塗れで、髪にも髭にも眼鏡にも白い灰がくっついていた。とても、そのままで子供達とケーキを食べる気分にはならなかった。
 埃を落すためにシャワーを浴びた。シャワーを持つ手首がはれぼったい。どうやら、暴れ回ってあちこち傷めてしまったらしい。シャワーを終えた南部は、違和感を覚えた個所に湿布薬を張り付けた。小一時間で作業を終え、リビングに行った。
 夕食は、雇った家政婦に頼んであった。詰め物入りのローストチキン、パエリア、ガーリックトーストといったイタリア風の料理一式が、暖めたらすぐに食べられる状態で準備されていた。
 健とジョーが勢いよく食べるのを、南部は眺めていた。動き回りすぎて少々バテたのか、南部の方は食欲は今一つで、赤ワインを飲むことにした。アルコールの刺激で食欲が戻れば、と思ったが、酔いが心地よいだけで、食事をしようという気分にはならなかった。
 二人の食事が終わったのを見て、南部は、ケーキを取り出した。
「いろいろあったからな。無事ならいいんだが……」
 不安を覚えつつ、南部は箱のラッピングを外して蓋をとった。
 最大サイズのブッシュ・ド・ノエルはまったく無傷で、売っていた姿のままだった。
 奇跡だ、と口に出しかけて南部は黙った。ケーキが無事なのを神の奇跡のせいにしたら、さすがに神だってそのチープさに怒るだろう。
 ケーキを切り分け、健とジョーが喜んで食べるのを見ながら、南部はソファに移動してワインを飲み続け、そのまま眠ってしまった。

「博士、起きてよ!」
 健とジョーに揺り起こされた。テーブルの上には空になったワインのボトルがあった。起きようとしたら体の節々が痛んだ。両手首は捻挫、足は肉離れ、その他軽い打撲に全身の筋肉痛に、南部は呻き声を上げた。
「朝っぱらからどうしたのかね、二人とも」
「今朝の新聞見てよ。マリア像見つかったって!」
 南部は、健が差し出した新聞を手に取った。テーブルの上に広げる。
「あの教会のマリア像が見当たらなくなって、昨日は、近くの子供達がみんなで探してたんだ。僕達も、探すのを手伝ってたんだよ」
「聞いてないぞ」
「だって、博士、昨日はすごく疲れてるみたいだったから……」
 南部は、記事を目で追った。
——クリスマスイブの五日前に、教会でボヤが起きた。暖房器具が倒れたためで、一緒に倒れたマリア像の一部が焦げた。そのおかげで、火傷をせずに済んだ子供がいて、マリア様のおかげだと感謝していた。修復のため、マリア像は教会の奥にしまわれたが、そのまま行方がわからなくなっていた……。
 戻ってきたマリア像の写真が載っていた。写真を見た南部は、そのまま凍り付いた。マリア像の傷は、昨日一緒に居た老婆の頬の火傷と腕の傷と、まったく同じ傷だった。
「そんな、まさか……」
「どうしたの、博士」
 健とジョーが揃って南部を見た。
「……いや、偶然だろう。いくら何でも……」
 南部は頭を振って、新聞を置いた。
「直すのにお金がかかるって言ってた。ねえ博士、僕達も寄付していいかな?」
「そうだな、君にその気があるなら、私も協力しよう」
 ジョーの顔が明るくなった。ジョーにとっては、教会は身近な存在である。
「散々こき使っておいてご加護の方はケーキの分だけだったがな……」
 喜んで窓の方へ歩いて行く健とジョーを見ながら、南部は苦笑した。
 ケーキの無事しか祈らなかったことは、完全に忘れていた。

——完——

●あとがき

 またもや、クリスマスイブに突入してからクリスマスフィクを書き始めるというドロナワをやっちまいました。来年はもうちょっとゆとりのあるスケジュールで書きたいです。

 というわけで、家に着くまで南部博士を夜通し走り回らせてやろうかという計画もあったのですが、プロットを詰める時間がなくて、陳腐な展開にしました。コミケ用の方はしっかり作ったので、クリスマスフィクはこんなもんで勘弁してください。

 しるふさんのところでチャットをしていたら、鰻重とかつ丼の話が出まして。話をするうちに、「あの角を曲がって」というしるふさんのちょっと前のフィクのネタだとわかり、食欲の秋なので(謎)、「あの角を曲がって」というタイトルで各自お気に入りのキャラ+メニューでフィクを書いて提出、ということになりました。その宿題として書いたものです。
 フィクのタイトルは、「あの角を曲がって」の後に、メニューを並べて書いたものとする、ということになりました。メニューを何にするかもチャットの流れで決まりました。食堂の設定はしるふさんが最初に書かれたものに合わせています。
 既にしるふさんの掲示板に投稿したのですが、向こうはパスワード制なので、こちらでも同じものを出しておきます。
 私が書くので、主人公は当然のことながら南部博士です。

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あの角を曲がって ロースかつ膳+美少年

 打ち合わせは一段落したが、問題は解決していなかった。

 ギャラクターの動向を探るために探査機を十機以上打ち上げて地球全域をくまなく24時間監視できるシステムを作る、という計画がISOで進められていた。ISO長官の南部考三郎がこのプロジェクトを進めると決定したのは半年前だった。普通に作れば、打ち上げの方も大型のロケットが新しく必要になる。しかし、探査機の方に新素材をいくつか使えば、軽量にしたまま強度を維持できるので既にISOで打ち上げ実績のあるロケットを使えることがわかり、製作が進められた。ところが、一週間前、完成した探査機の試験の最中に問題が発生した。
 使った新素材の中に、熱の伝わる速さが極端に違うものがあった。その二つを組み合わせて使うと、想定したよりも大きな温度の違いが生じ、歪みがかかって壊れやすくなる。温度変化に対する耐久試験の最中にそのことがわかった。現場のチームは大慌てで対策を考えることになり、南部もその対策会議に出ていた。ある程度遡って設計からやりなおす、打ち上げの失敗を前提にしてこれまで通りの作り方で手早く探査機を余分に作っておきロケットの方はまだ信頼性に疑問のある大型のものを使う、という2つの案が出た。それぞれにかかる人的物的コストと、完成までに要する時間を見積もるために、この三日間、南部は釘付けになっていた。事前に書類を配って話し合えば済む種類の会議ではない。疑問が出て、データが足りないとわかる度に、実験室で測定し、手描きのグラフやらメモ書きの数値やらのコピーを回しての検討になった。
 さすがに、飲み物と軽食くらいは運び込んでいたし、休憩時間に他のメンバーは食事を摂っていた。しかし、長官の南部にその時間は無かった。空き時間を全部使って長官決裁の要る書類を処理しないとISOの他の業務が止まってしまうからである。
 六日目の夕方になって、これ以上続けても疲労によるミスが増えるだけだし効率も上がらない、という判断で、南部は会議を打ち切った。対策方法それぞれについて必要な時間と人員の見積もりは見えてきたが、方針を決定するまでには至っていなかった。「次の招集は明朝から、それまでは全員休養をとるように」と宣言した後、南部は長官室には戻らず、白亜のISO本部ビルの通用口からそっと外に出た。

 南部は、余計な情報をシャットアウトした上で、どう結論を出すか考えたかった。本部ビルに居る限り、誰かが仕事を突っ込んでくるので、落ち着いて何かを考えるのは無理である。かといって、人通りの多いところをISO長官が一人で歩けば、それだけで目立つ。自然と、南部の足は静かな路地へと向かっていた。

「お食事ですか?」
 いきなり声をかけられて、南部は我に返った。路地の突き当たりの日本家屋の入り口の扉を開けて、男性が微笑んでいた。騒々しい店なら入るのを止めようと思って扉の内部を伺ったが、混雑している気配は無かった。南部は軽く頷いて、紺色の暖簾をくぐり、中に入った。他の客の姿は見えなかった。南部は、カウンターの真ん中の席に座った。本日のメニューです、と渡されたのは、手書きの紙切れ一枚だった。ここ数日、まともなものを食べていなかった南部は、麺類と丼物をまず除外した。その結果、天ぷら定食、刺身定食、ロースかつ膳の三択になった。
「何にいたしましょう?」
 カウンターの向こうから男が声をかけた。
「定食から選びたいのだが……」
「それでしたら、かつ膳はいかがでしょう?豚肉のいいのが入ってますよ、今日は」
「ではそれにしてくれ」
「お飲み物は?」
「何かお薦めのものがあるのかね?」
「じゃあこれで」
 男が持ち上げた一升瓶のラベルには「美少年」とあった。
 一合入る透明なガラスの杯に満たされた清酒を半分まで飲み、南部は杯を持ち上げた。透明な液体が揺れている。目で見ただけで酒と水を区別する方法があるかと訊かれたら一体どう答えるべきだろう、と、ふと思った。

 身に付いたスーツにネクタイ姿、髭に眼鏡の男性がグラスを目の高さに掲げたままで固まっている、というのは、誰が見ても挙動不審であったが、それを見ても店主は特に話しかけたりしなかった。

「こちらがソースです。ゴマを潰して入れてください」
 平たい器に入った褐色のソースと、小さなすり鉢に入った白ごまが、白木のテーブルの上に置かれた。南部はグラスを置き、一緒に出されたすりこぎでゴマを潰しながら苦笑した。ここ数日の会議の途中の実験では、測定のために試料を粉にする必要があって、乳鉢を使って全く同じ作業をしていたのだった。その時間が唯一、南部が何も考えずにいられる時間でもあった。

「もうそれくらいでいいですよ。随分楽しんでらっしゃるようですが」
 気が付くと、既にゴマは粉々を通り越してペースト状になっていた。
「ふむ」
 南部はすりこぎを置き、ゴマをソースの中に箸で入れた。
——つい熱中しすぎたようだが、他人の目から見ると私の姿は楽しそうに見えていたのか……。
 それはともかく、もうそろそろだろう、と、南部はカウンター越しに厨房を見た。ちょうど、分厚いカツを油から引き上げ、まな板に載せるところだった。ざく、ざく、と、勢いよく衣ごと切る音が響いた。そのまま包丁に載せて皿に盛りつけ、流れるような動作で南部の前に差し出された。
 丸い皿の上にステンレスの網があり、その上に丁度良い大きさにカットされたとんかつが並んでいた。付け合わせのキャベツもたっぷりあった。南部は切断された面を見て、眉をひそめた。ぶ厚い肉の真ん中のあたりがまだ少し赤っぽい。充分に火が通っていないのでは……。
「ごはんと味噌汁、直ぐに出しますよ」
 言いながら男は、カウンターの上に、大きめの椀を2つ置いた。
「今日はキノコの味噌汁ですよ。秋ですからねぇ」
 それはいいんだが火の通り具合が、と言おうとして皿に目をやった南部は、再び固まった。赤っぽかった部分は完全に色が変わっており、ちょうど食べ頃になっていた。
「おぉ、これは……」
 南部は一切れ取って口に運んだ。カリっとした衣と分厚くて軟らかい肉が美味い。何の抵抗もなく食べ終えていた。自覚はしていなかったが、体の方は相当に飢えていたらしい。次の一切れをソースの小皿に入れながら、この厚さと形状のカツを作るシミュレーションをしろ、と命じたらISOの技術者連中はどうするだろう、と考えた。外側のパン粉や衣の部分と肉とでは熱の伝わり方が違う。しかも、火が通ったところと生のところでもやはり違う。それが時間とともに変わっていくのだから、さぞかし難航するだろう。
 熱い油から取り出した後も、熱は伝わる。ここの店主は、真ん中に火が通る直前で上げて、ご飯と味噌汁を出すまでの時間差で、余熱を使って加熱を完了させた。経験がなせる技とはいえ、衛星の熱伝導計算でこけたISOの連中に爪の垢でも煎じて飲ませたい……。
 そんなことを考えているうちに、南部は、ロースかつ膳を平らげてしまっていた。杯の方も空になっている。とりあえず杯を差し出し、お代わりをもらって、一気に流しこんだ。
「美味かった。油から上げるタイミングが絶妙だったな」
「わかりますか」
 店主は満足そうに笑った。
「真ん中に火が通るまで油の中に入れておくと、揚げすぎになるんですよ」
「そうらしいな……それだ!」
 南部は勢いよく立ち上がった。
 ここ数日の打ち合わせの結論が固まりつつあった。充分長い時間一部を暖めてしまう前に、姿勢を変えて反対側を暖めればいい。要は、とんかつを作るのと同じ要領だ。そのためには探査機を適当に回しておく必要があるが、今の設計のままでもやれなくはない。設計をやり直すとか、数打ちゃ当たるなどということをせずに、運用でカバー、でいこう。探査機の寿命が少し短くはなるが、それは仕方がないだろう……。
「今日はロースかつ膳を選んで良かった」
 分厚いとんかつがきっかけで解決策を見つけた南部の本心だった。店主が想像した理由とは違っていたが。
「ありがとうございます。またいい肉を用意しておきますよ」
 支払いを済ませて南部は外に出た。すっかり日が暮れていた。酒のせいか、耐え難い眠気に襲われつつあった。南部はISO本部に戻り、ベッドルームに潜り込んだ。横になってからのことは覚えていなかった。

 数週間後。
 探査機打ち上げのカウントダウンが始まっていた。南部は司令室で、モニター画面の中に立ち並ぶロケットを見守っていた。時間差でリフトオフし、まっすぐに上昇していくロケットを見ていると、ふと、例のとんかつを打ち上げている気分に襲われた。南部は首を左右に振ったあと眼鏡を外し、ポケットのハンカチで拭いてからかけ直した。
「長官、どうなさったんですか」
 横に立った係官が訊いた。
「……いや、何でもない」
「でも、一時はどうなることかと思いましたよ。スケジュールが大幅に遅れるか、予算超過になるか……それが南部長官のアイデアで解決したんですから」
「私のアイデア、か……」
 南部は呟いた。
「ところで君、とんかつの揚げ方を知ってるかね?」
「はぁ?」
「……いや、いいんだ。さて、もう私がここに居なくても大丈夫だろう」
 怪訝な顔をした係官をその場に残して、南部は司令室を出た。

迷宮にて (2) 完結

|2010/9/19(日曜日)-04:34| カテゴリー: ファンフィクなど
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 既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。
 初めての方は先に、

迷宮にて (1)

|2010/9/19(日曜日)-04:28| カテゴリー: ファンフィクなど
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 既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。今年のバレンタインフィクとして作ったものです。
 とはいえ、南部博士のバレンタインですので、ロマンスは皆無の上、事件になっちゃってます。

続きを読む……

COUNTDOWN (5) 完結

|2010/9/10(金曜日)-20:40| カテゴリー: ファンフィクなど
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 既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。
 初めての方は先に、

COUNTDOWN (4)

|2010/9/9(木曜日)-23:21| カテゴリー: ファンフィクなど
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 既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。
 初めての方は先に、

COUNTDOWN (3)

|2010/9/8(水曜日)-19:25| カテゴリー: ファンフィクなど
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 既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。
 初めての方は先に、

COUNTDOWN (2)

|2010/9/7(火曜日)-00:08| カテゴリー: ファンフィクなど
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 既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。
 初めての方は先に、

をご覧下さい。

続きを読む……

COUNTDOWN (1)

|2010/9/5(日曜日)-01:01| カテゴリー: ファンフィクなど
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 既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。昨年のクリスマスフィクとして作ったものです。忍者隊結成前の話なので諸君は登場しません。時期的には、南部博士がISOに来た直後で、アンダーソンもまだ長官ではなく副長官をやっているという設定です。

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COUNTDOWN    裕川涼

●PHASE 1 プロローグ

「おい、南部、本当にいいのか?相手は特殊部隊の格闘技の教官だぞ」
 鷲尾健太郎が、南部考三郎の肩を叩いた。南部は、キャスター付きのラックに入れて運び込んだ装置を、延長コードにつないで、手早くスイッチを入れた。ラックの中では、オシロスコープや発振器と一緒に、基盤を何枚も挿したコンピューターらしき部品が剥き出しになっていた。
「かまわないさ。それくらいでないとテストにならん」
「勝つつもりでいるのか」
「まさか」
 南部は、大型のダイバーウォッチよりもさらに一回り大きな部品を、左手首にベルトで固定した。白衣を脱ぎ捨てる。黒いシャツと黒いズボンを身に付けた、細身の体が現れた。ラックのコネクターと左手首の装置のコネクターを細い同軸ケーブルで繋いだ。
「そりゃ一体何だ?さっきのとは違うのか?」
 黒いシャツの裾からテープ状の極細のケーブルが束になって伸び、小さな箱につながっていた。箱はクリップでベルトに差し込まれていた。ケーブルの先端は各種のセンサーになっている。そのセンサーを南部の全身に貼り付ける作業を、ここに来る前に、鷲尾は一時間以上にわたって手伝った。
「空軍勤務の俺に、国際科学技術庁《ISO》ISOの研究に手を貸せってオーダーが降ってきたから、何事かと思って来てみたら、セコンドをやれとはな。プロ中のプロを相手にどうするつもりなんだ?」
「見てりゃわかる。これを持っていてくれ」
 南部は、眼鏡を外して鷲尾に手渡した。
「動くものを見るときには却って邪魔だし、バイザー越しでも無い方が安全だ。始めるぞ」
 南部は、いかにも手作りの基盤が刺さったケースのボタンを押した。瞬間、全身が光に包まれた。光が消えた時、南部の体は、全身黒色のボディスーツに覆われていた。膝上まであるブーツに手袋、ヘルメットに顔の半ばまで覆う透明なバイザー、膝上まで届くマント。
「バットマンの仮装のつもりか、それは?ISOってのは妙なものを作るな……」
 胴体と両手両足にプロテクターをつけ、ヘッドギアをかぶった格闘技の教官が素っ頓狂な声を上げた。
「デザインまで手が回っていないんだ。調整次第で色も形もある程度は変更できそうなんだが」
「一体どういう仕組みだ?」
「機密に関わるから詳しいことまでは言えないが、ブレスレットの高周波に反応してこのスーツに形を変える材料を開発した。防御の性能が高いのと、人間の運動能力をある程度サポートする機能があるから、うまくいけば、将来は軍でも使えるかもしれない。今はまだ、個人ごとにかなり調整しないと使えないので、量産できないんだが……」
「軍に持ってくる時は、もうちょっとマシなデザインにしてもらいたいな、南部博士」
「考えておくよ」
「おい、南部、ちょっと待て」
 鷲尾は、格闘技の教官が広げた荷物の中から小さなビニール袋を取り出した。借りるぞ、と教官に向かって目で合図する。封を切って、透明なゴム状のマウスガードを取り出し、ドライヤーを取り出して加熱した。
「口を開けろ、南部。柔らかくなっているうちにしっかり噛んでおけ」
 ヘルメットのバイザーで顔の半ばまでが保護されていても、南部の口の周りはノーガードだった。この状態で攻撃がヒットしたら、前歯は無事では済まない。
「マウスガードを付け忘れるような素人相手に、フルコンタクトでやり合っていいのか?ISOに来たばっかりの学者先生を病院送りにするのは気が進まないぞ」
 教官が顔をしかめた。
「やってみてくれ。ただ、左腕のブレスレットへの攻撃は避けてほしい。こいつが壊れるとそこでテストは中止するしかない」
「壊れるとどうなるんだ?」
「元の姿に戻る。私の体にもかなりショックがかかるはずだ」
「時計をセットした。三分と一分でベルが鳴る。ボクシングと同じだ。始めていいか?」
 南部と教官が揃って頷いた。鷲尾は、タイマーのスイッチを入れた。
 ベルの音とともに、何の予備動作も無しに教官が距離をつめた。軽い右フックが南部のヘルメット越しに入った。南部はよろめいたが、そのまま踏みとどまった。両手の拳を上げ、ファイティングポーズをとった。がら空きになった脇腹に、教官は左足で回し蹴りを入れ、寸止めした。
「本当に素人か……」
「それじゃ困る。実際に打撃がないとテストにならない」
「じゃあ、最初の何ラウンドかはトレーニングしてやるから、体を馴らせ」
「わかった」
「ストレート五回、規則的に行くぞ。ヒットの瞬間、腕に力を入れて顔をガードしろ。次は右の回し蹴りだ。膝と肘で入るのを防げ」
 型どおりの攻撃と防御を規則的に繰り返して、最初の一ラウンドが終わった。
「あと三ラウンドこれをやって、慣れてきたらランダムな攻撃に切り替える。タイミングを合わせて防御するか、躱すか、やってみるんだな。それから、常に相手の全身を見ろ。一個所に注目してるとフェイントを喰らうぞ。考える前に体を動かすんだ」
「それが極意か。こちらからの攻撃は?」
「まともにやったんじゃ当たらないと思うが、受けようか?」
「ガードしてもかまわないから、頼む。それも実験項目だ」

——九十分後。
 南部は立ち上がれなくなって、持ち込んだラックに凭れて座り込んでいた。息が上がってしまい、話すこともできない。マウスガードを外して無造作に投げ捨て、口を開けて喘いだ。
「怪我でもしたんじゃないのか?」
「それは無いと思うが……」
 鷲尾に向かって答える教官の方は、息も乱れていない。
「その変な装備を外せるか?」
 南部は、ラックにつながっているケーブルの先端をブレスレットに差し込んだ。ラックの緑のボタンを押すと、再び光に包まれ、一瞬で、元の姿に戻った。そのままゆっくりと横になる。
 教官はしゃがみ込んで、南部の黒いシャツを上にめくり上げた。極細の信号線をサージカルテープで貼り付けられるだけ貼り付けた上半身が現れた。
「何だこりゃ?ボディに入れる時はそれなりに手加減したから、内臓を傷つけるような打撲は無いはずだが」
「南部、剥がしてもかまわないか」
 青い顔で南部が頷く。鷲尾は、手早くセンサーを固定していたテープを剥がした。
「大丈夫か?痛むところは?」
「……無い。眼鏡を返してくれ」
 答えた後、南部は呻いた。鷲尾は、眼鏡をかけさせ、南部を横向きに寝かせると、背中をさすった。
「気分が悪いのか?」
 南部は答えるかわりに歯を食いしばった。
「完全にバテたんだろう。普段から鍛えていたようには見えないからな。面白いスーツだが、本人のスタミナの問題までは解決できないようだな」
「……どう面白い?」
 目を閉じたまま南部は呟いた。
「動きが極端にアンバランスなんだ」
 教官は断言した。
「俺からの攻撃に合わせて防御したり躱したりする時の反応は鈍いし、はっきり言ってずぶの素人だ。しかし、俺に対する攻撃は、フォームは素人だが速度はベテラン以上だった。無駄な動きがやたら多いから、予測するのも躱すのも簡単だったが、無駄が無くなれば、俺でも対応しきれるかどうかわからん。ジャンプ力も体操選手並だ」
 目を開けた南部が微笑んだ
「しかし、何でこんな妙なスーツを作っているんだ?ちょっと前に、ISOで、もっと強力なバトルスーツを開発してるって話で……テストには、俺の部隊の若いのが協力していたはずだが。そっちを使えば南部博士だって、そんなにバテることも無かったんじゃないのか」
 人間以上の力とスピードを出すために、筋肉に追随して動くモーターやアクチュエーターを装備し、防弾用の装甲まで備えたパワードスーツの開発が、既にISOの研究チームによって進められていた。動力は外部から供給されるため、理屈通りに行けば、人間の側にさほどのスタミナを要求しなくても、簡単に、何人分かの力を出せる。
「あれは多分失敗に終わる。貴方は既にその理由を知っているはずだ。さっきも言っていた通り……」
「どういう事だ?」
 教官は訊いた。南部は直ぐに言葉を出せず、鷲尾に背中をさすられながら、吐き気を堪えていた。
「南部、おい、大丈夫か?辛いならあまり話さない方がいいぞ?」
「……いや、続けさせてくれ。折角協力してくれたんだ」
 南部は深呼吸した。
「私の動きが鈍いのは、貴方の動きを見ていちいち考えてから反応していたからだ。接近しての格闘戦の訓練はされてないから、私にはそれしかできない。しかし、自分から動く時は違う。筋肉の神経系が指令を出し始めるのは平均して〇・四秒から〇・三秒前、筋肉が動き始めるのはその〇・一五秒位後だ。脳が動作指令を出す前に、既に体は動いている。これは人間なら誰でも同じで、何も特別な訓練なんか要らない」
「そういえば、ISOの連中は、脳波を読み取ってスーツを動かすとか言ってたな」
「そうだ。それで最初の計画が失敗した。脳波をトリガーにしたのでは、体の動きから大幅に遅れる。研究チームは間もなくそのことに気付いて、筋電をトリガーにする方式に切り替えた。それでも、〇・一五秒の差は埋められなかった。動作開始が遅れるパワードスーツは、重量がある分、筋肉に対して動き始めに大きな負荷を与えることになる。それに合わせて人間の側が無意識に出力を調整した直後に、今度はスーツの方が増幅された動きを始めてしまう。ゆっくりした動作のサポートならともかく、これではどうやっても格闘戦に合わせた制御など無理だ。〇・二秒先の未来を完全に読めるのなら話は別だが」
「で、南部博士、未来を読むことには成功したのか?」
「さすがに私でもそれはできん。私のスーツも筋電に反応している」
「失敗例と変わらんじゃないか」
「フルコンタクトで試合をするのに、そのプロテクターが邪魔をしたか?」
 南部は訊き返した。
「軽くて、抵抗なしに動くようなものなら、身に付けていても動き始めにはほとんど影響しない。私が狙ったのはそっちだ。そのかわり、性能の方は本人の身体能力に大きく依存することになったが……」
「なるほどな。筋はなかなか良かったぞ、南部博士。勘もいいし上達も早い。継続して鍛えればそこそこの所まではいくだろう。回復したら、毎日、グラウンド二十周はランニングしておくことだな。一ヶ月もすればそれなりに持久力は上がるはずだ」
 教官は、持ち込んだ荷物の中を探り、手提げの紙袋を取り出した。
「クリスマスも近いしな、俺からのプレゼントだ。頼まれたとはいえ、サンドバッグ代わりにしてそのままというのも気が引ける」
「何だこれは?」
「湿布薬だ。俺の部隊で常備しているヤツだ」
 南部は、紙袋を引き寄せた。どう見積もっても三キログラム以上ある。
「多過ぎないか?」
「全身にくまなく貼り付けて、二、三日は安静にしていろ。もっとも、明日は筋肉痛で身動きはできんだろうが」
 南部は、教官に手を差し出した。握手をしたのか、引っ張り上げて立たされたのか解らない状態でどうにか立ち上がった。
「貴方に頼んで正解だった。スーツを改良したらまた協力を頼めるかな」
「了解だ。なかなか面白い装備らしいしな」
 鷲尾に支えられながら、南部は格闘技の教官が立ち去るのを見送った。
「撤収するか……」
 南部は、白衣を着込んだ。ラックのキャスターのストッパーを外し、引っ張ろうとしてよろめいた。鷲尾が慌てて腕をとって支えた。
「危ないから座ってろ。運ぶのを手伝おう。どこに持っていけばいいんだ?」
「装置はISO本部の私の実験室へ。私も一旦研究室に戻って、着替えてから帰る」
「ケーブルは外した方がいいんだな?」
「ああ、運ぶ途中で引っ掛かると断線するかもしれない」
「……っと、固いな」
 鷲尾は、ポケットから折りたたみ式のプライヤーを取り出した。コネクタ部分を挟んで軽く回して外した。
「工具箱を持ち歩かなくてもいいのか」
「ああ。興味があるなら使ってみろよ。他にもいろいろくっついてる」
 鷲尾は、南部にプライヤーを手渡した。レザーマン、と刻印されていた。
「最初から俺の手伝いをアテにして俺を呼んだんだろう?自分が動けなくなるのを見越してな」
 鷲尾は、ケーブルをまとめて、脇にあった袋に突っ込んだ。
「……バレてたか」
 鷲尾は、南部の父親に雇われてパイロットを務めており、最近になって空軍に入った。南部とは、学生の頃からの知り合いで、友人でもあった。
「自分で人体実験した心意気に免じて、荷物運びとドライバーは完璧にこなしてやる。積み込みが終わるまでそこで休んでいろ。何なら、湿布薬を貼り付けてミイラを作るところまで面倒見ようか?」
 ラックを引っ張って出て行く鷲尾を、床に転がったまま南部は見送った。

●PHASE 2 ISO本部・アンダーソンのオフィス

「クリスマスイブだから一緒に早めに引き上げようと思って呼んだのに、その荷物は一体何だ?」
 南部を自らのオフィスに呼び出したISO副長官のアンダーソンは、顔をしかめた。
 南部は、薄いブルーのスーツの上着に紺のズボンにネクタイ姿で、ポケットには赤いハンカチを挿しているのはいつも通りだったが、服装には不釣り合いな軍用のダッフルバッグを担いでいた。
「この間丸三日も休んだせいで、仕事が遅れているんです。家に帰ってからも続きをやりたいんですよ」
 事務方のクリスマス休暇を確保するために、イブの夜は早めに帰宅するように、ISOの本部職員には通達が出されていた。必要最低限の警備部門だけを残して、研究室は年明けまでロックアウトされる。
「休んだってのは、特殊部隊の教官相手にぶっ倒れるまで殴り合っとった件か」
「あれから、ブレスレットの駆動用の装置を小型化し、スーツの方にも改良を加えました。ここ数日はISOが使えないので、別荘の方の設備を使って研究を続けます。それには、道具一式を担いで帰らないと。試作品でも、重要機密ですから、誰かに頼むことはできないんですよ」
「まったく、近くのレストランに寄って、軽食でも摂らないか誘うつもりだったのに、それでは寄り道もできんじゃないか」
「済みません。しかしアンダーソン、あなたにとっては、寄り道などせず、家族と過ごす方がよろしいのでは?」
「あのな、これでも独身のお前を気遣ったつもりだ。少しは理解しろ」
 言い終えた途端、アンダーソンの机の電話が鳴った。
 受話器をとったアンダーソンは、ほとんど何も答えず報告を聞いていた。
「わかった、直ぐに行く」
 それだけ言って、アンダーソンは受話器を置いた。
「何かあったんですか?」
「二ブロック離れたISOのR&Dセンターで事故だ。地下実験室で爆発があったらしい。センター長と長官には呼び出しをかけているが、二人とも、昨日からクリスマス休暇で直ぐには連絡がつきそうにない。食事に誘おうかと思っとったが、それどころじゃなくなったな。私は、行かなければならん。今ISOに居る最も職位の高いのが私ということになるようだ」
「私も行きます、アンダーソン」
「南部君、別に君には何の責任も義務もない」
「今、ISOには普段の人員は居ないはずだ。不測の事態が生じた以上、人手は多い方がいいでしょう。R&Dセンターには私も仕事を頼んであるので、それも心配です」
 南部は、アンダーソンの先に立って歩き出した。

guinea pig

|2010/8/6(金曜日)-04:41| カテゴリー: ファンフィクなど
| 10 個のコメント

 Reeさんのところとの連動企画です。
 みけこさんのイラストから生まれたフィクです。イラストはReeさんのところにあります。
 二次創作にご理解のある方のみごらんください。

【追記2010/08/10】
 みけこさんからイラスト掲載OKの許可をいただきましたので貼ります。
 この絵に合わせたストーリーを作ってみたのでした。素敵なイラストをありがとうございました、みけこさん。触角付き南部君を入手できてホクホクです。

mikeko.jpg

※イラストはみけこさんによるものなので、他で利用する場合はみけこさんに了解をとってくださいね。

続きを読む……

コーネルノート追加

|2010/5/29(土曜日)-23:57| カテゴリー: ファンフィクなど
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 以前から作っていた、コーネルフォーマットのノートに、ISOロゴ入りのものを追加しました。マジンガーシリーズの研究所名入りもあるのですが、ガッチャマンのISOのものと分けました。
 この「南部博士専用。」のタイトル下の「ファンフィク一覧」をクリックすると、下の方にリストが出ます。pdfファイルへのリンクになっています。罫線が2重になっていたのとかを削除して、シンプルにしてあります。A4サイズの原稿なので、拡大縮小無しにB5用紙で中央に両面印刷すると、周囲の余白が無くなって、程よいレイアウトでルーズリーフができます。
 プレビューも文書カラーもCYMKにしないと色合いを勝手に変えられたりいろいろで、うまくいかないみたい。印刷はこれからチェックしますので、また修正入るかもしれません。

【追記】
 印刷してみたら、狙った色合いで出たので修正無しでいきます。