【2010/12/27追記】
 あまりに焦って書いたので、足りない部分をいくつか追加しました。最後の方、だいぶ変わってます。

科学忍者隊ガッチャマンファンフィク

家路

裕川涼

●PHASE 1 アメガポリス・ISO本部

 雪が降っていた。
 南部孝三郎は、オフィスの窓際に立って、窓の外を見ていた。
 まだ午後三時を少し回ったばかりだというのに、空は暗く、乾いた雪が勢いよく落ち続けて、窓の外を白く塗りつぶしていた。隣のブロックのビルの形さえ見えない。時折激しく吹く風が、雪を舞い上げ、白と灰色の濃淡の波をつくってビルの間を通り抜けていく。
 二重のガラス窓がはめ込まれ、空調の完備した南部のオフィスは、摂氏二十三度を保っていた。それでも、窓からの冷気を感じて、南部はブラインドを下ろした。
「だいぶ道が混み合ってるようですね」
 書類を運んでいった後、報告のために戻ってきた秘書が声をかけた。
「この雪だ、視界を閉ざされてしまっているのだろう」
「珍しくホワイトクリスマスになりましたね」
「……ああ、そうだな」
 南部は浮かない顔で返事をした。確かに、アメガポリスでは、クリスマスイブに雪になることは三年に一度もない。しかし、大雪警報が出て、市内の交通が次第に止まりつつある状態をホワイトクリスマスと気軽に呼んで、果たして良いのだろうか。
「私もそろそろ今日の仕事は終わりにする。君も早く帰り給え」
 クリスマスイブのこの日、ISO職員の多くは既にクリスマス休暇に入っており、本部に出勤している人数は普段の半分以下になっていた。
 秘書が出て行ったのを見て、南部は、防寒着を羽織った。軍の放出品である。国境警備隊が使っているもので、性能の方は申し分なかった。もちろん、階級や所属を示すワッペン等は全て外されていた。
 部屋を施錠して南部は廊下に出た。いつもはそれなりに人が行き交っている廊下は閑散としていた。エレベーターの前で待ち、上から降りてきたケージに乗り込んだ。マフラーを首に巻き、分厚いオーバーコートを着込んだアンダーソン長官が乗っていた。
「さすがに南部君でも今日は早く帰るのかね」
「ええ、子供達が待っていますから」
 南部は既に、科学忍者隊候補として、健とジョーの二人を引き取って、ユートランドの海岸の別荘に住まわせていた。他の候補者も探しており、あと二人ばかり心当たりはあったが、まだ接触していなかった。
「そうか、それは大変だな」
「いえ、普段は家政婦や家庭教師が居ますから。しかし、今日はみんなクリスマスイブで不在なので、私が早く帰らないといけないのですよ」
「そうか、あの広い別荘に子供達だけでは寂しいだろうね」
 南部の別荘は、ちょっとした研究所並の規模と設備を備えていた。窓の少ない巨大な建物の中に、普通の住居としての部屋の他に、コンピュータールームや実験室や医療設備までがあった。
「仕事が長引いて遅くなったとしても、ケーキを買って必ず帰る、と約束したのですよ。早く片付いてよかった」
 話をしているうちに一階に到着した。南部とアンダーソンは、揃ってロビーから外に出た。
「見事なホワイトクリスマスになったな、南部君」
「長官、それは……」
 建物から出た途端、突風に見舞われた。空から降る雪と、既に降った雪の両方が風と一緒に吹き付けてきた。南部は、思わず左腕で顔と頭を覆った。
「そんなロマンチックな状況ではなさそうです」
 南部は叫んだ。叫ばないと風の音に声がかき消されてしまう。
 ツリーの飾り付けを隠さない程度に静かに降る、というのが、南部のイメージするホワイトクリスマスであった。氷点下のブリザードが吹き荒れ、ツリーの樹氷が乱立する状況をホワイトクリスマスとは断じて言わないはずだ。
 待たせてあった車に乗って去っていくアンダーソンを見ながら、南部は、吹雪の中に足を踏み出した。

●PHASE 2 アメガポリス市内

——目当てのケーキ屋に寄ってから、車でも拾おう。
 南部は、ケーキ屋に寄って、定番のブッシュ・ド・ノエルの最大サイズを選んだ。隣のユートランドまで帰るのだと言うと、店員は厳重に包んだ後、提げ袋に入れ、さらにドライアイスを多めに入れた。外は冷凍庫並の気温だが、暖房の効いた車で帰るのであれば、ドライアイスは必要である。
 大通りに出てタクシーを呼び止め、南部はユートランドへと向かった。雪と風のため、電車は全部運休していたので、他に選択肢は無かった。しかし、ユートランドシティへ向かう途中で渋滞に巻き込まれて、全く先に進めなくなってしまった。
「何かこの先であったのでしょうか」
 南部の言葉に、運転手は黙ってラジオのスイッチを入れた。
——アメガポリスからユートランドに向かう橋の入り口付近で、可燃物を積んだタンクローリーが横転、炎上中です。雪と渋滞のため、消防車がたどり着けないため、消火作業の目処が立っていません。現在、消火剤を積んだヘリも、強風のため飛行を見合わせている状態です。
「お客さん、この分だと、ユートランド着けるのは何時になるかわかりませんねぇ」
「橋を迂回できないかね?」
「迂回すると山の方を回ることになりますが、向こうは日中降り続いた雪のせいで、除雪が間に合わなくて全面通行止めです。まあ、予報によれば吹雪はそろそろ峠を越えたようで、夜には止むそうですが……」
「そうか。歩いて橋を渡れないか、近くまで行ってみる」
 南部は、運転手に料金を支払い、チップをはずんでからタクシーを降りた。車道の脇の歩道を歩いて、アメガポリスとユートランドを結ぶ橋へと向かった。
 ニュースでは橋の入り口付近と言っていたが、火災は橋の上で起きていた。どうやら、橋を渡ろうとしてスリップし横転、橋の上に流れ出した可燃物に火がついたらしい。そこへ、停車し損なった車が何台か突っ込んで、さらに被害を拡大していた。オレンジ色の炎が、橋を吊っているワイヤーに届き、黒い煙が上がっていた。風が吹く度に長く伸びた炎が揺れていた。
 橋は、上下二重構造になっていた。最上部は自動車専用、最下部は歩行者や自転車用の道と保守点検用の通路が並んでいた。
 南部は、橋のたもとまで来て、脇道に入った。スロープをたどって下に降りた。橋を渡ろうとした時、叫び声が聞こえた。
「ちょっとあんたたち、何するのよ!」
 南部は声のした方を振り返った。古びたカートがひっくり返り、がらくたが雪の中に散乱している。若い男達三人が、老婆を引きずり倒していた。
「おい、君達、一体何をしてるんだ!」
 南部は駆け寄った。
「てめぇ、なんのつもりだ!」
 男の一人が殴りかかって来た。南部は躱そうとして、雪に足を取られてバランスを崩した。予想外の動きに、パンチを振り切った男の方が足をもつれさせた。手に持ったケーキを気にしながら、南部は、宙に浮いた右足で思い切り蹴り上げた。タイミング良く男の顎に命中した。男が雪の上に倒れた。両手でケーキを抱えたまま、南部も雪の上に尻餅をついた。残る二人を睨みながら、ゆっくり立ち上がった。
「いい加減にしないか!」
 南部は、倒れている男からゆっくりと遠ざかった。
「仲間を連れてさっさと行け」
 男達は、舌打ちしながら、倒れている一人を両脇から抱えて去っていった。二人まとめてかかってこられたら危なかった、と思いながら、南部は溜息をついた。
「大丈夫ですか」
 雪の上に座り込んでいる老婆に声をかけた。
「ありがとう、助かったわ」
 南部は、老婆に近づき手を差し出し、助け起こした。仕草から、左手が不自由だとわかった。
 老婆の年齢は、七十歳か八十歳か、すぐには見当が付かなかった。古くなった枯れ木という表現の方がぴったりくるような、しわくちゃの顔と手だった。おまけに、顔の左側に酷い火傷の跡があった。老婆はしっかり着込んではいたが、上着もズボンも所々破れていた。
 雪の中に老婆の持ち物が散らばっていた。古い雑誌や新聞、毛布、簡単な食器類など、どう見てもホームレスの道具一式だった。南部は、老婆といっしょになってがらくたを拾い集めて、カートに入れた。
「本当にありがとう、ええと……」
「ISOの南部だ」
「あなたが南部博士ね。名前をきいたことがあるわ。とにかく助かったわ」
「怪我はありませんか、その……」
「あら、私の名前なんかどうだっていいのよ。怪我は無いわ。これからどこへ行くつもりなの?」
「ユートランドに帰るところだ。では」
 南部は、橋を渡ろうとした。上では火災が続いていて、火の粉が舞い落ちていた。いくらも進まないうちに、老婆に呼び止められた。
「ちょっとあなた、南部博士!」
 南部は振り向いた。橋のたもとで、老婆がカートを懸命に押していた。
「どうしたんだ?」
「雪にひっかかって動けないのよ」
 南部は、小走りで老婆の方に向かった。カートの車輪が、雪に食い込んだ上に橋の側溝の蓋の隙間にひっかかってしまっていた。片腕が不自由では脱け出すのは難しいだろう。南部はケーキを脇に置き、しゃがんで両手でカートを引っ張り上げた。
「あら、さすがね若い人は」
「いや、私はもうそんなに若くはないんだが」
「私に比べれば子供みたいなものよ」
 突然、背後で轟音が響いた。南部は振り返った。車道が崩れ落ちて、解けた橋の材料やアスファルト、車などが次々に落下し、下の通路に激突した後、その勢いで一部は海に向かって落ちていった。
「一体何が起きたの?」
「上の火災で燃えていた化学薬品、かなり高熱を発していたらしい。橋の材料の一部が融けて、強度が保てなかったのだな」
 南部は、崩れ落ちた橋の断面を見ながら言った。
「どうやら、助けられたのは私の方らしい。あのまま歩いていたら今の崩壊に巻き込まれていた」
「橋は渡れるの?」
「上の平らな部分が崩れただけだから、橋そのものは大丈夫だろう」
「それなら早く行きましょう」
 老婆はカートを押して、瓦礫や車の一部が散乱し、所々炎が上がっている歩道を歩き出した。
「おい、ちょっと危ないぞ」
 老婆はまるで意に介さない。仕方無く、南部は、老婆を手伝ってカートを一緒に押しながら、狭くなった歩道を歩いた。
「ここまで来れば、もう火災の影響は無いだろう」
 言い終わった途端に突風が吹き抜け、南部は慌ててカートを手で押さえた。
「油断してると飛ばされるぞ。お婆さん、家はユートランドにあるのですか」
「家?私ゃ見ての通りの暮らしぶりだわさ」
「じゃあ何でこんな無茶を」
「あなたユートランドに行くんでしょ。それなら、ユートランドの教会まで私を連れて行ってくれないかしら」
「そういうことか。いいでしょう、途中まで一緒に行きましょう」
 教会では、クリスマスの夜に、経済的に困っている人達や孤児たちに、食事を振る舞うといったことが行われていた。老婆の身なりからしても家はなく、援助に頼るしかないということなのだろう。
「この天気、峠は越えたはずだ。飛ばされないように気を付けて」
 南部は、カートの上にケーキを置いて、カートを押しながらユートランドへと向かった。

●PHASE 3 ユートランドシティ

 何度か風に煽られながら、南部は、老婆と一緒に橋を渡り、ユートランドシティに入った。ユートランドも大雪の影響で、電車やバスが止まった上、車は最徐行で運転し、それでもあちこちで交通事故が起きていた。
「さて、どっちに向かうか……」
「こっちよ。裏道だけど近いの」
 立ち止まった南部を置き去りにして、老婆がすたすたと歩き始めた。
「道が完全に凍っている。そんなに急ぐと危ない」
 南部はあわてて後を追った。とたんに足が滑って、カートに捕まってどうにか転ばずに踏みとどまった。
 突然、路地から勢いよく車が走り出してきた。老婆をかすめてスリップしながら方向を変え、走り去った。巻き込まれた老婆が道に転がった。
「おい、婆さん、大丈夫か!」
「何て酷い人達!許せないわ。後で警察に言ってやるから」
「その分なら大丈夫そうだな」
「ええ、巻き込まれそうになって除けようと思ったら転んじゃったのよ。でも、あの人達、ぶつかってたって確実にひき逃げしてたわね」
 雪のせいで、車の轍が鮮明に残っていた。
 老婆は、車が走り出してきた路地へ入っていった。
「そっちが近道なのか?」
「いいえ、でもあの無茶な人達の正体を突き止めなきゃ」
 仕方無く、南部は、カートを押しながら老婆の後についていった。轍は、角を二回右に曲がった路地のところで止まっていた。車に向かう足跡も残っている。老婆は、足跡が出てきたドアを開けた。
「おい、不法侵入になってしまうぞ」
「いいってことよ」
 堂々とした態度で老婆はドアの向こうに消えた。仕方無く、南部はカートを置いて、老婆の後を追った。
 そっとドアを開ける。人の気配は無かった。
「あら大変!」
 先に入っていた老婆の大声が聞こえた。南部は声のした部屋に入った。作業机があり、工具類が雑然と置かれていた。
 老婆は、机の上に置かれた紙を手にとって見ていた。
「誰か居たらどうするんだ!」
 南部は小声で、しかし強い調子で言った。
「それどころじゃないのよ、ちょっとこれを見て!」
 老婆が南部に紙を突き出した。
 侵入経路が赤で書かれた建物の見取り図と物品の配置、警備の陣容、用意するべき武器弾薬リスト等だった。
「どこかの襲撃計画に見えるが……」
「この建物、ユートランドの文化芸術会館よ」
 言われてみれば南部にも覚えがあった。
「銀行ならともかく、そんなところに金目の物なんかなさそうだが、一体どういうつもりなんだ?」
「多分、絵よ」
「何?」
「あちこちの美術館から絵を借りて、クリスマスのチャリティー展覧会をやってるのよ。子供達が大勢来ているはずだわ。美術館よりは警備が手薄だから、絵を盗むつもりなのよ」
「いつやる気なんだ」
 壁にかかったカレンダーを見て、南部は黙った。これ見よがしに、今日の日付つまり二十四日に印がつけられている。
「決行は今日なのか。警察に電話を」
「電話は隣の部屋よ」
 南部は、隣の部屋に行き、受話器を上げた。何も聞こえない。
「雪の重みであちこち電話線が切れたのかもしれない」
「そう、それなら直接行くしかなさそうね」
「行ってどうするつもりなのだ……」
 南部の問いかけを全く意に介さず、老婆はまたもや、すたすたと歩き出した。

● PHASE 4 ユートランドシティ・文化芸術会館

賑わっているはずの文化芸術会館の扉は閉ざされ、静まり返っていた。
「この大雪で、展覧会は中止になったのでは」
「そんな筈ないわよ。向こう側へ回ってみましょう」
「何も起きてなければ、そのまま教会へ直行、今度は寄り道は無しだ」
 南部は宣言した。早いところ、ケーキを持って帰って、健とジョーに渡したかった。
 会館正面の建物は、中にコンサートホールや室内音楽を演奏するための部屋がいくつもあった。絵の展示は、中庭を挟んだ反対側の三階建ての建物で行われていた。中庭にに植わっている木も、その間に置かれているオブジェも、雪が積もって白一色に凍り付いていた。
 一階は休憩スペースを兼ねたロビーになっており、中庭に貼り出している。それに接する形で三階建ての窓の少ない建物が、直射日光を避けなければならない絵の展示に使われていた。
 南部の期待は裏切られた。絵を見に来た子供達は一階に集められていた。ショットガンを持った男が、暖炉を背にして全員を威嚇していた。
「遅かったか……」
「放って置いたら、絵を奪った後、あいつらは子供達の何人かを人質にして逃げ出すつもりだわよ」
「しかし、うかつに近寄ったらこっちが危険だ。何とか注意を逸らして不意打ちするしかないが……」
 南部は建物の屋根を見た。暖炉の上あたりに、四角く太い煙突が突き出している。
「単なる飾りなら屋外の煙突は要らないはずだ。どうやら上までつながっているらしい。あとは、相手の気を逸らす方法だが……」
「ISOの天才でしょ、何か思いつかないの?」
「そのカートを見せて」
 南部は、老婆のカートの中を探った。水が半分ほど入ったペットボトルを見つけて手にとり、防寒着のポケットに入れた。次に、カートの上に載せていたクリスマスケーキの手提げ袋を開けた。ケーキは箱詰めされたあと、包装紙やラップで巻いてあり、紙の小袋に入ったドライアイスが箱の上と周りに詰め込まれていた。南部は、ドライアイスをほとんど抜き取り、防寒着の反対側のポケットに入れた。
「ケーキを預かっておいてもらえるかな」
「いいわよ」
 老婆がカートの中のがらくたを寄せて場所を作った。手提げ袋ごと、南部は、ケーキをその隙間にそっと入れた。ついでに、カートの中に転がっていたドライバーとガムテープを手に取った。軽く上に投げてキャッチし、ポケットに突っ込んだ。
「子供達を逃がすのを最優先にするが、他に仲間が居るはずだ。できたら警察に通報してくれ」

 南部は、ペットボトルの蓋を外し、ドライアイスをドライバーの柄で砕いて中に入れた。再び蓋を閉め、よく振り混ぜた。窓の片側にカーテンが寄せられていて、その部分だけは、中から外を見ることができない。南部は、ガムテープでペットボトルを窓硝子に貼り付けた。
 そっと建物の裏にまわり、ドアのノブに足をかけ屋根に飛びついた。積もった雪が崩れ落ちてくる。何とか屋根の上に這い上がり、立ち上がった。ある程度雪がある方が滑りにくい。ゆっくりと南部は煙突のところまで歩いていった。
 煙突の上に取り付けられている雨除けのカバーをドライバーで外し、南部は中を覗きこんだ。
 下の方はオレンジ色だが、特に暖かくはない。子供達が来るイベントなので、火を燃やさず、照明を設置することで雰囲気だけ出しているらしい。
 南部は煙突の中に入った。両足を突っ張って体重を支え、ゆっくりと下に降り、暖炉のすぐ上で待った。
 五分と経たないうちに、ぼんっ、という音がしてペットボトルが破裂した。同時にガラスの割れる音。南部は、暖炉の中に飛び込んだ。灰が舞い上がる。炎に擬したランプを設置してはいたが、暖炉として使っていた時の灰は雰囲気を出すためそのままになっていた。暖炉の前を塞いでいる柵を蹴り倒して、ショットガンを持ったまま窓の様子を窺う男のに向かって、後ろから飛びついた。床に倒し、両手を組んで、後頭部を思い切り殴りつけた。南部の方は、手首を痛めたかという衝撃を感じたが、男は呻き声を上げて動かなくなった。
「サンタクロースなの?」
 子供達から声があがった。
 この場合、サンタクロースというよりは、むしろ、ローストチキンの方だろうと南部は思った。火がついてなくて不幸中の幸いだ。
「ちがーう!みんな逃げるんだ!」
 南部は叫び、展示会場になっている奥の建物へと向かった。
——仲間はどこに居る?
 廊下に出て展示室を回る。絵のいくつかは既に外されていた。
——運び出すとしたら裏口か……。
 南部は、建物の見取り図を思い出し、従業員専用の出入り口へ向かった。廊下が濡れている。どうやら、最近ここを通って外から入ってきた者が居るらしい。
「何をしている?そのまま手を上げろ」
 後ろから怒鳴られて、南部は、ちら、と振り向いた。絵を片手に持った男が、拳銃を南部に向けていた。南部は、両手を挙げてゆっくりと振り返った。
「職員は全員片付けたはずだが」
「いや、私はここの職員じゃない」
 男の後ろから、老婆がカートを押しながら近付いてきた。カートの車輪がキイキイと小さな音を立てた。男に気付かせないために、南部は大声で怒鳴った。
「子供達はみんな逃げた。バカな真似はよせ。すぐに捕まるぞ!」
 男が銃の安全装置を外した。その後ろから、年寄りとも思えない勢いで、老婆がカートごと犯人に突っ込んだ。
 カートに足を掬われた男は、カートの上に尻餅をつく格好になった。絵を取り落とし、南部の方に近付いてくる。南部は駆けだし、すれ違いざまに顎に右ストレートを叩き込んだ。男はカートから転がり落ちて気絶した。
「助かった……」
 南部は、手首を押さえた。殴り合いには慣れていない。
「私も捨てたもんじゃないでしょ」
 老婆は、男が落した絵を拾った。
「モーツァルトの肖像画だな。良く見る物とは少しタッチが違うようだが」
「今売出し中の画家の作品よ。アマデウス……神様に愛された人、ね。天賦の才を持つ人をそう呼ぶわ。あなたと同じよ」
「私は別に……」
「生きている間に仕事をし続けて、若くして亡くなったわ。作品の方は人の歴史とともに残り続けるでしょうけれど」
 南部は眉をひそめた。同じ目には遭いたくない。
 老婆は、絵をそっと壁に立てかけた。
「さあ、行きましょう。教会はすぐそこの筈よ」

● PHASE 5 ユートランドシティ・某教会

 普段なら徒歩十五分で済むはずの道なのに、三十分かかった。雪は小降りになり、風もほとんど止んでいた。しかし、除雪は間に合わなかった。二人は、人の踏み後を辿り、雪をかきわけながら歩くことになった。
「教会には連れてきてもらえるし、子供達は助かったし、ステキなホワイトクリスマスになったわね」
 老婆が笑うと、顔の皺が倍増したように見えた。
「天災レベルの大寒波を、ホワイトクリスマスとは言わないと思うのだが……」
 今日、三度目になる愚痴を、南部は呟いた。どうして誰もかれも、たまたまイブの日に雪が降っただけで、ホワイトクリスマスと言いたがるのだろう。
「それに、私にとっては妙に忙しいクリスマスイブになった」
「あら、それは仕方がないわよ。あなた以外にちゃんとできる人なんか居ないのだから」
 南部は深い溜息をついた。
「さっきの話をまとめると、神様に愛された場合、才能を授けられて嫌というほどこき使われるか、早々に天に召されるか、どっちかだということになるな」
「モーツァルトはその両方だったわよ」
「神を信じてありがたがる人の気が知れないな。どう見ても愛されると災難でしかない。いっそ、神には無視してもらった方が幸せな人生を送れそうだ」
 ビルの谷間から、教会の塔と十字架が見えた。
「ここでいいわ。後は一人で行けるから」
「そうか、じゃあケーキを返してくれ」
 南部は、老婆のカートの中から、手提げ袋に入ったケーキを引っ張り出した。カートに入れられたまま、傾いたり衝撃を受けたりしているはずである。南部は、ケーキの無事を祈った。
「南部博士、あなたに神のご加護を。メリークリスマス」
 老婆にそう言われても、神に愛されると酷い目に遭う話をされた後では、釈然としない。
 老婆が教会に向かったのを見て、南部は、別荘に向かって歩き出した。南部一人なら、急いで歩けば一時間はかからない。
「博士!南部博士!」
 聞き覚えのある声に呼び止められて、南部は立ち止まった。防寒服に身を包んだ健とジョーが、歩道の反対側に立っていた。吐く息が白い。
「どうしたんだね、二人とも。別荘で留守番してたんじゃなかったのか」
「そのつもりだったんだけど、ちょっとそこの教会に立ち寄ってたんだ。そのあと……」
「健、もういいだろ。帰ろうよ」
「どっちにしてもここで会えて良かった。戻って、君達二人が居なかったら、探し回るところだったよ」

● PHASE 6 ユートランドシティ・南部の別荘

 健とジョーにケーキを渡して冷蔵庫に入れるように言った後、南部は念入りに上着とズボンの埃を払った。暖炉の灰の中に飛び込んでしまったため、全身灰塗れで、髪にも髭にも眼鏡にも白い灰がくっついていた。とても、そのままで子供達とケーキを食べる気分にはならなかった。
 埃を落すためにシャワーを浴びた。シャワーを持つ手首がはれぼったい。どうやら、暴れ回ってあちこち傷めてしまったらしい。シャワーを終えた南部は、違和感を覚えた個所に湿布薬を張り付けた。小一時間で作業を終え、リビングに行った。
 夕食は、雇った家政婦に頼んであった。詰め物入りのローストチキン、パエリア、ガーリックトーストといったイタリア風の料理一式が、暖めたらすぐに食べられる状態で準備されていた。
 健とジョーが勢いよく食べるのを、南部は眺めていた。動き回りすぎて少々バテたのか、南部の方は食欲は今一つで、赤ワインを飲むことにした。アルコールの刺激で食欲が戻れば、と思ったが、酔いが心地よいだけで、食事をしようという気分にはならなかった。
 二人の食事が終わったのを見て、南部は、ケーキを取り出した。
「いろいろあったからな。無事ならいいんだが……」
 不安を覚えつつ、南部は箱のラッピングを外して蓋をとった。
 最大サイズのブッシュ・ド・ノエルはまったく無傷で、売っていた姿のままだった。
 奇跡だ、と口に出しかけて南部は黙った。ケーキが無事なのを神の奇跡のせいにしたら、さすがに神だってそのチープさに怒るだろう。
 ケーキを切り分け、健とジョーが喜んで食べるのを見ながら、南部はソファに移動してワインを飲み続け、そのまま眠ってしまった。

「博士、起きてよ!」
 健とジョーに揺り起こされた。テーブルの上には空になったワインのボトルがあった。起きようとしたら体の節々が痛んだ。両手首は捻挫、足は肉離れ、その他軽い打撲に全身の筋肉痛に、南部は呻き声を上げた。
「朝っぱらからどうしたのかね、二人とも」
「今朝の新聞見てよ。マリア像見つかったって!」
 南部は、健が差し出した新聞を手に取った。テーブルの上に広げる。
「あの教会のマリア像が見当たらなくなって、昨日は、近くの子供達がみんなで探してたんだ。僕達も、探すのを手伝ってたんだよ」
「聞いてないぞ」
「だって、博士、昨日はすごく疲れてるみたいだったから……」
 南部は、記事を目で追った。
——クリスマスイブの五日前に、教会でボヤが起きた。暖房器具が倒れたためで、一緒に倒れたマリア像の一部が焦げた。そのおかげで、火傷をせずに済んだ子供がいて、マリア様のおかげだと感謝していた。修復のため、マリア像は教会の奥にしまわれたが、そのまま行方がわからなくなっていた……。
 戻ってきたマリア像の写真が載っていた。写真を見た南部は、そのまま凍り付いた。マリア像の傷は、昨日一緒に居た老婆の頬の火傷と腕の傷と、まったく同じ傷だった。
「そんな、まさか……」
「どうしたの、博士」
 健とジョーが揃って南部を見た。
「……いや、偶然だろう。いくら何でも……」
 南部は頭を振って、新聞を置いた。
「直すのにお金がかかるって言ってた。ねえ博士、僕達も寄付していいかな?」
「そうだな、君にその気があるなら、私も協力しよう」
 ジョーの顔が明るくなった。ジョーにとっては、教会は身近な存在である。
「散々こき使っておいてご加護の方はケーキの分だけだったがな……」
 喜んで窓の方へ歩いて行く健とジョーを見ながら、南部は苦笑した。
 ケーキの無事しか祈らなかったことは、完全に忘れていた。

——完——

●あとがき

 またもや、クリスマスイブに突入してからクリスマスフィクを書き始めるというドロナワをやっちまいました。来年はもうちょっとゆとりのあるスケジュールで書きたいです。

 というわけで、家に着くまで南部博士を夜通し走り回らせてやろうかという計画もあったのですが、プロットを詰める時間がなくて、陳腐な展開にしました。コミケ用の方はしっかり作ったので、クリスマスフィクはこんなもんで勘弁してください。

 南部博士のフルネームの漢字表記に諸説あるという話をこれまでもしてきたわけですよ。

やっぱりわからん……
デアゴの調査でもはっきりしなかった南部博士の名前

 ところが、ちょっと有力な資料を見つけました。
 ガッチャマンIIのシナリオ「恐怖の合成植物ミュータント作戦」(製作No.9、放映No.7)の最初の、登場キャラクター一覧のページに「南部耕三郎」と書かれていました
 IIの他の回は、私が持っているシナリオの最初のキャラクター一覧は全て「南部博士」となっています。
 今回判明したのは、久保田圭司脚本の回です。しかし、別の久保田さん脚本の回では、「南部博士」となっています。なぜか、この回だけ、キャラクター一覧に南部博士のフルネームが書かれています。不思議です。
 Fの方は、手持ちのシナリオでは「南部長官」「南部博士」となっていて、フルネームが書かれているものはまだ見つけていません。

 ということで、他に有力な資料がなければ、IIでは「耕三郎」確定でいいのかな、と。まあ、これからもじっくり資料蒐集を続けてみます。