やっぱりわからん……

|2010/6/7(月曜日)-23:05| カテゴリー: 考察や議論など
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 南部博士の名前の調査、手持ちの資料だけで何とかならんかとちょいと考えてみた。
 そういえば、劇場版ガッチャマンの大部分がTV版の編集でできていたなぁ、と。劇場版の脚本は手元にあるわけで、南部博士のフルネームが出てくるところを探せばいいや、と思って見てみた。
 まず、冒頭近くのISOでの会議のシーン。タートルキングが暴れた後くらいのところ。
シーン14より。

声「判っている」
  代表たち、ハッと声の方を見る。
  声の主、南部千三郎博士が立つ。
アンダーソン「南部博士、判っていると?」

 この部分は、設定画の「仙三郎」を引きずった記載と考えるしかなく、TV版の呼び方とは違っているため、採用するわけにはいかない。
 ところで。
 劇場版の脚本の中に、81話の問題の個所が含まれていた。
シーン189より。

市長「ああ、ありました。そのドクターの名は南部……」
カッツェ「なにっ?」
市長「南部耕三郎です。サインもあります」
カッツェ「な、南部が……バカめッ、なぜそれを隠していた?」
市長「はァ? このドクター南部がどうかしましたか?」
カッツェ「国際科学技術庁の南部だ。そして裏で、科学忍者隊を動かしてるのもその南部だ」

 同じ脚本の中に、準主役キャラのフルネーム表記が違うものが混じっていたorz。劇場版脚本を書いたの、メインライターの鳥海尽三氏と陶山智氏だぞ……(汗)。
 これはひょっとして、劇場版をTV版の編集によって作るという計画が出た時、TV版の脚本をつなぎ合わせて脚本にしたのではないか。それならば、元々のTV版シナリオに書かれていたものがそのまま転記されているのではないか、と考えたくなる。
 直接の証拠にはならないが、ガッチャ缶さんのところで出ているTV版シナリオや、私が5冊ばかり持っているTV版のシナリオの内容と全く同じ部分が劇場版台本に存在すれば、転記されたという可能性の裏付けになるよなぁ……そう思って、さっきまで、脚本片手に劇場版DVDを見ていた。
 しかし、劇場版も、脚本とはだいぶ異なった編集がなされていて、既にわかっているTV版シナリオの内容と、劇場版DVDと、劇場版脚本の3つを同時にチェック出来るシーンは存在しなかった。
 また、TV版を編集するという計画なら、録音台本を参考にして書き写して脚本を作れば、順番は入れ替わっても、TV版のままの映像の部分では書かれた台詞と脚本の内容がそれなりに一致するはずだが、どうもそうでもないらしい。
 劇場版の公開は1978年(昭和53年)7月15日、元になったTV版の放映期間は1972年(昭和47年)10月1日〜1974年(昭和49年)9月29日、IIの放映が1978年(昭和53年)10月1日〜1979年(昭和54年)9月30日。
 「耕三郎」説が有力なIIの企画が立ち上がったのと、劇場版の準備は時期としても近い。
 いくつか可能性がある。
(1)「千三郎」が設定画の「仙三郎」の誤記で、「耕三郎」も変更後の別の記載の誤記である場合。←誰だよ劇場版脚本の活字打ちしたの……。
(2)TV版のシナリオで最初に「千三郎」になっていたのが途中で変更されて「耕三郎」になっていて、劇場版脚本は両方ともTV版のシナリオを正しく書き写したものである場合。←この場合は初代も「耕三郎」で確定、ムック本等の記載の方に根拠が無かったことになる。
(3)TV版のシナリオでは、ムック本の通り「考三郎」or「孝三郎」だったが、既に走りつつあったIIに合わせるつもりで「耕三郎」にした。←じゃあ最初の「千三郎」は一体何?
(4)逆に、劇場版脚本で手違いで「耕三郎」になったのが、遅れて始まったII以降に引き継がれた?
 ということで、やっぱり、手持ちの資料だけでは、確定させることができなかった。少しは進むかと思ったのになぁ。

 劇場版のシナリオの表記も今一つ基準がわからない。例の海岸にある南部博士のでかい家、TV版シナリオのNo.55(陶山智)とNo.100(久保田圭司)では「南部博士の別荘」と明記してあるんだけど、劇場版だと「南部邸」になってるし。

 「誰だ、誰だ、誰だ」の歌詞は、大人になっても覚えていたけれど、まさか指揮官の南部博士のフルネームが「誰だ、誰だ、誰だ」状態だというオチは、ちょっと想定外だったわ……。

 おまけに資料(史料?)は足りないし出てこないし、もうね、これ一体何て邪馬台国論争かと……(爆)。

 なお、初代の総監督鳥海永行氏による小説「科学忍者隊ガッチャマン」(朝日ソノラマ、昭和53年)では、154ページに「南部孝三郎」の表記がある。初代、II、Fでシナリオを書き、初代の企画・原案をやった鳥海尽三氏によるリライト版の「小説科学忍者隊ガッチャマン」(エニックス文庫、1989年)では、58ページに「南部孝三郎」の表記がある。
 初代の総監督と、企画原案および全作通して脚本を書いた、このお二方は、「南部孝三郎」のつもりでいたのかもしれない。